子どもが生まれて、何もかも変わった。
もちろん、「良いこと」の方が多い。
7時間のお産で生まれたその子は、ほっぺたがおまんじゅうのようにプニプニで、よく笑う良い子だった。
夜はよく眠るし、離乳食が始まると、なんでもよく食べた。
同じ母親からは「本当に良い子で羨ましい」といつも褒められていたのを思い出す。
ある日、歩きたての娘が部屋の中で転んで、テレビの角に頭をぶつけた。
ほんの一瞬、食後のミルクを作りに行った隙のできごと。
頭から血まで流して激しく泣く娘を見て、心配で真っ青になった。
すぐに小児科に連れて行くと、先生は「たいしたことないよ」と笑った。
看護師にもらった小さな恐竜の人形を抱く我が子は、さっきまでの出来事が嘘のように機嫌が良かった。
家に帰ると夫が帰宅していたので、その日のできごとを伝えた。
彼は娘の頭に貼られたガーゼを撫ぜながら、
「かわいそうに。お前がちゃんと見ていないからだろう」と言った。
彼女はその時、もう絶対に娘から絶対に目を離さない、と決めた。
彼女の夫は、娘の実の父親ではない。
実の父親とは娘がまだお腹にいる頃に離婚して、
彼とはその後、娘が生まれてすぐの頃に出会って結婚したのだ。
自分の娘のように可愛がってくれる彼を見て、この人となら再婚しても大丈夫、と思った。
それに、一人で子育てをしていくのは不安だった。
だけど結婚して感じるのは、「あくまでも他人の子」だという、夫の娘に対する関心度合いだった。
ー「当然なのよ。だって彼からしたら、知らない相手との子でしょう。結婚してくれてるだけありがたいの」ー
夫は口癖のように「お前の子だろう」と言い、彼女もそれを受け入れている部分があった。
いつもどこかで罪悪感を感じていた気がする、と、彼女は話す。
ー「夜泣きとかしてる時にね、舌打ちされるの。実の父親だったら怒れたかもしれないけど、
私はいつも『私の子がごめんね』って思うの」ー
娘が成長していくのと並行して、今まで身なりにも気を使う方だった彼女が、服を買うのを辞めた。
独身時代に集めていたブランド物のバックを売り、娘の部屋の改装費に当てることにした。
毎月行っていた美容院に行く時間もなくなって、黒髪に戻し、伸ばしっぱなしにし、育児の邪魔にならないよう、いつもひとつに結んだ。
だってもう、そんなことよりも娘が大切でしかたなかったのだ。
できるだけ傷つかずに大人になってほしい。
良いことをたくさん経験して、自分の好きな人生を選んでほしい。
怪我だって病気だって、苦しいものはできるだけ避けてあげたい。
「この子のためならなんだって我慢できる」
今思えば彼女はその頃、いつもそんなことを話していたように思う。
娘が2歳になった頃、なかなかうなくおしゃべりができない娘が、
叫んだり、噛みついたりするようになってきた。
その様子を見た義理母が「保育園に行かせないと社交性や免疫が身につかない。この子には社交性がない」と言ってきた。
言われてみれば、ママ友の中には0歳から保育園に通わせているママも少なくはなかったが、
どの子もみんな、楽しそうに保育園のことを話していた、と、思い出す。
そうか、この子にも社交性が必要なのか。と思った。
なんだ、一人でずっと付きっ切りになることが、必ずしも正義ではないんだ。
この子 がこうなったのは、私のせいだ。
yuzuka
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