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最近、何かと話題の「フェミニズム」について。単に女性の権利拡張という話ではないんですよ

最近、何かと話題の「フェミニズム」について。単に女性の権利拡張という話ではないんですよ

どうも、サマーです。

今日のお話は出だしちょっとお勉強っぽく聞こえるかもしれないですが、そんなことないので「んー?」っていう箇所は飛ばしてもらいつつでも、最後まで読んでみてもらえると嬉しいです。

 

さて、みなさんは「フェミニズム」と聞いて、どんなイメージを持ちますか?

私は自分がフェミニストであることを公言していますが、体感としてはそんなにいいイメージを持っていないという人の方が多いんですね。

 

シンプルに「難しい」とか、 「意識高い系」とか、もしかすると「男嫌い」、「女性の権利向上だけを訴える思想」といった攻撃的なイメージを持っている人もいるかもしれないです。

 

それも無理のない話なんですよ。

実際に広辞苑のフェミニズム、フェミニストの項目だって、国際的に浸透している意味にはなっていなくて、改善を求める声が上がっています。

 

なので、まあ、日本で市民権を得るにはまだかなり若い言葉だといってもいいかもしれません。

 

フェミニズムって難しい話じゃない

ここから本題です。

フェミニズムって、本当は若い女性、そして女性に限らず男性も、そしてどんな性の人も、知ることで、とても生きやすく、自由になれる考え方なんです。

 

ちょっと具体的なケースなんかをあげつつ、どんな考え方のことを指してフェミニズムっていうのか、どんな人を指してフェミニストっていうのかをお話ししたいと思います。

 

例えば、海外のアーティストがフェミニズムの観点でたびたび指摘することのひとつに、男性には聞かれない質問が、女性に対してはしつこく聞かれる、ということがあります。

「ラ・ラ・ランド」でオスカーを獲ったエマ・ストーンは当時のパートナーのアンドリュー・ガーフィールドには聞かれない「誰のファッションを参考にしてる?」とか、「いつもバッグに入れているものは何?」といった作品とは関係のない質問ばかりされることに疑問を投げかけています。

 

アリアナ・グランデは彼女がボーイフレンドと別れたり付き合ったりするたびに大騒ぎされて、女性の方だけが作品そっちのけで「なんで別れたのか」、「新しい彼はいるのか」と、ことあるごとに“○○と別れたアリアナ”、“〇〇の彼女アリアナ”と冠をつけて報道されることに怒りをあらわにしていましたね。

「オーシャンズ8」のケイト・ブランシェットは日本で受けたインタビューで「子育てと女優業の両立は大変か?」と聞かれて、「父親にはそんな質問はされないのに、母親側だけがいつもそれを聞かれるのはおかしなことだわ」と答えました。

 

彼女たちが指摘するのはジェンダー(性、社会的・文化的な性のありよう)のステレオタイプ。

女性にとって、アートや作品を通じて世界に何かを発信することよりも、着飾り、恋愛し、子育てするといったことの方が重要であるはず、と気づかないうちに型にはめているから、こんな質問ばかりが出てくる、という指摘です。

 

芸術や自己表現で世の中に何かを発信していくことが女性という性によって軽く見られたり、制限されたりすべきではないという主張ですね。

 

「女vs. 男」 じゃない

フェミニズムの考えっていうのは、経済や仕事や芸術活動など、どんな場においても、いずれかの性が他の性よりも優位に立つことがない平等な社会をつくろうよ、ということなんです。

 

ここで大事なのは、「女の」っていうことに限らないってことです。

「どんな性であっても」性によってあらゆる差別、制限を受けない自由があるという思想なんですね。

  • 女の子なんだから家事くらいできなきゃ
  • 立派な男は働いて、家族を養うべき
  • リーダーシップを取ろうとする女はでしゃばり
  • 男は泣いちゃいけない
  • 女の子はニコニコして話を聞いていればいい
  • デートコースを決めて予約してお金を払うのは男の役目
  • 医者は男、看護師は女、パイロットは男、客室乗務員は女……

これまで、当たり前みたいな顔をして私たちをしばってきたジェンダーのステレオタイプって本当にたくさんあります。

 

これらは一体誰のために、どんな社会のために存在するの?

「え? そんな枠(わく)いらないよね?」 っていうお話です。

 

もしかすると実際に集計をとってみると家事が好き、得意な人には女性の方が多いかもしれません。

男性の方が合理的な考え方を得意とする人が多いかもしれません。

でも、それらは「女性だから」「男性だから」というよりも人間としての個人のパーソナリティとしてみるほうが自然です。

 

肉体的性差はある

もちろん男性の身体と女性の身体には性差があり、それらを無視しろという話ではないんですよね。

例えばテニスの大会で男性と女性にトーナメントが分かれているのを、ごちゃ混ぜにして一緒にやったとしたら、それはもう公平とはいえないです。

 

身体的な性差について、たくさん考察して、どんな工夫をすることでフェアな社会が築いていけるか、議論される社会が理想です。

性差でしばりつけるべきでない個性と、生物的な肉体の性差との間には境界線がはっきりとあるわけではないですし、フィジカル的にも男性よりも強い女性だっていて、筋肉がつきにくい男性だっています。

 

こうした曖昧で答えを白黒出しにくい問題について、もっとオープンに話し合われていくようになれば、とってもいいですね。

 

女の子らしい私はフェミニストにはなれない?

もしかすると、ちょっと不安になって疑問を持っている人もいるかもしれません。

 

「家族のために料理や家事をして、安心できる家庭をつくることが夢だけど、それじゃフェミニストにはなれない?」

 

いいえ、そんなことまったくありません。うん、具体的でとっても素敵な夢ですね!

フェミニズムという思想がいうのは、“将来家族を持って、家族のために料理や家事をして、安心できる家庭をつくる”という夢を、男性が持つことだって同じように違和感なく受け入れられるべきだということです。

 

「ドットやフラワープリント、スウィートな服装や、セクシーなファッションが好きでお化粧や美容に余念のない私は?」

「500日のサマー」のズーイー・デシャネルはガーリーなファッションをしているせいで、フェミニストとして認識されないことについてこう不満を漏らします。

 

「私は私らしくいるだけよ。ガーリーなファッションが好きな人はフェミニストになれないとか、ガーリーな人は社会的に成功してはいけないなんて価値観アホらしいわよ。

私は強い女性でありながら、ラウンドカラー(丸襟)のかわいいドレスも着たいの。文句ある?」

 

その通り! どのようなファッションや装い、見た目を好むかと、思想は関係ありません。

むしろフェミニズムの思想が提唱するのは好きなファションをする自由が性別かかわらず、誰にも平等に与えられるべきということですから。

 

「We Should all be feminist(私たちはみなフェミニストになるべき) 」

少し伝わってきたでしょうか。

そう、フェミニズムがいってることって、まあ、当たり前のことばかりなんです。

 

「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフはこういっています。

「僕はいつも何ごとにおいても当たり前に平等主義者だって公言してるんだから、フェミニストかという質問に対しても答えは「YES」に決まってる。

なのに、「フェミニストですか?」って質問が殺到するんだ。そのたびに「もちろん、神に誓ってそうだよ! ってかそうじゃない理由がある?」って思ってるよ。おかしな話だよね」

 

つまり、フェミニズムって、どんなジェンダーも平等であるべき、平等に扱われるべきっていう当たり前の考え方だから、むしろ、「え?あなたフェミニストじゃないんですか⁉︎ あら〜びっくり」っていうレベルの考え方なんですよね。本来は。

そうした意味で、ナイジェリア出身の作家のチママンダ・アディチエのTEDトークでの 「We Should all be feminist(私たちはみなフェミニストになるべき) 」という発言は大きな注目を集めました。

クリスチャン・ディオールがレタードTシャツにしてとりあげていましたね(Tシャツめっちゃかわいいですよ)。

 

そう、フェミニズムって「女性の権利の拡張」というよりは、「平等」を実現させるためのとてもピースフルな考え方なんです。

あらゆる性をジェンダーでしばりつけることに対するNOの意思ですね。

 

男と女はソウルメイトになれないっていう考え方がアンチ・フェミニズム

私が一番問題だと思っているのは、男性と女性という性をあまりに分けて考えすぎるせいで、男性と女性では本音を全力投球でぶつけ合うような、お互いの本質をオープンにしたコミュニケーションがなりたたないと思っている人がけっこういるっていうことです。

 

「女に“哀愁”なんて理解できない」

「男のロマンがわかってたまるか」

 

「男ってダメね」

「どんだけオシャレしたってどうせ気づかないんだから」

 

そんなふうに異性を「ひとりの人間」ではなく、「男」「女」という枠で捉えて考えていると、「自分の核となる本音や本心は、異性にはわかってもらえない」という思い込みが知らず知らずのうちに育ってしまう危険があります。

そういう考えの人がパートナーに異性を選んだときには、相手が自分の本質を理解できるとは考えないので、深いコミュニケーションをせずに交際をつづけてしまう可能性があるんです。

 

どんなことを考えて生きているのかを、知ってもらえない、知ることができないままでいることになるのです。

それってどちらにとっても、すごくアンハッピーなことじゃないでしょうか。

 

自分の本質を理解してくれる人を持つことって、人生を生き抜くためにとっても心強い味方を得ることです。

そういう人との出会いを性別で制限することは悲しいことです。

 

「男だから」「女だから」わからないのではなくて、男でもわかる人もいればわからない人もいるし、女でもわかる人もいればわからない人もいるんです。

深い思考や情緒や感性に性差は関係ありません。

 

つまり男性と女性(そして、どんな性も)が人間同士の、お互いの琴線に触れ合うコミュニケーションができることを認めていない人たちが、男女関わらずアンチ・フェミニストにあたるということです。

フェミニズムって生きるにおいて欠かせない友情を育める相手を、地球上に倍も増やすという考え方なんです。

 

まとめ

今私たちは性についての捉え方が大きく変わろうとしている過渡期の社会の中で生きています。

フェミニズムという考え方を持つ個人が増えて行いくことで、たとえひとりひとりが声高に主張することなんてなくても、世の中はずっと生きやすく、目の前にひらかれる可能性がもっと増えて、そして不当につけられる心の傷が減るのではないかな、と思います。

もっと自由に。

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サマー

サマー

ライター/編集者 ジャーナリズム誌やカルチャー誌の編集者として働きつつ、フリーランスで幅広く書いています。ときどきイラストも。フェミニスト、ストレート・アライ、動物好き。ツイッターはじめました。

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