虐待による死亡事例は年間50件を超え、1週間に1人の子どもが命を落としている。
そしてその事例の半数以上の加害者は「母親」だ。
お腹を痛めて産んだ子どもを、愛しい我が子を殴り殺す。
想像のできない世界が、私たちのすぐそばにある。
だけどそれは本当に「遠い世界」だろうか。
私は、そうではないと思っている。
子どもは、いっときたりとも目を離せない生き物である。
毎日怪我をして、病気になり、泣き、喚き、作った食事をひっくりかえす。
いくら愛している対象だとしても、精神的に不安定な状態の時に一人で対応していれば、誰にだってイラっとする瞬間があって当然だ。
子どもは空気を読んでくれないし、一番やって欲しくない時に、やって欲しくないことをする生き物だから。
虐待をした母親が逮捕されるたび、テレビのニュースやツイッターには、こんな言葉が踊る。
「この母親、母親のくせに繁華街に飲みに行ってたらしいじゃん」
「母親のくせに金髪」
「母親のくせにキャバクラで働いていたらしい」
私は、言いたい。
あんたたちも、子どもを追い詰めたうちの一人なんだよ、と。
「母親のくせに」「母親なんだから」
どの母親もみんな、つい先月までは普通の女の子だった。
趣味を持ち、好きなアーティストがいて、いつも遊ぶ友達がいて、お気に入りのバーがあった。
母親になり、突然母親としての自覚が芽生えて、完璧な母親になるわけではない。
みんなが試行錯誤して、必死で、母親になる、母親でいる努力をしている。
24時間365日、世間から、夫から「母親なんだから」と言い続けられ、一人きりで言葉の通じない子どもと向き合うことの大変さを、
私たちはもっと、理解しなくてはならない。
じゃあ、どうしたら良いのか。
私はやっぱり、もっと気軽に「母親をお休みする時間」を作れる環境を整えるべきだと思うのだ。
子どもを捨てなくても、投げ出さなくても、合法的に、「母親を休める時間」である。
yuzuka
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