お金に殺されるような人生を生きてきた。
僕の無駄遣いのせいで、父親が愛車のクラウンを売却し、自殺未遂を起こしたことがあった。
母親は精神錯乱、僕も罪悪感で首つりを企図した。
金が命の重みを超えてゆく。
血も涙もない時間がそこに存在していた。
多額の仕送り、消費者金融、クレジットカード、ローンなどをむやみやたらに使い、破滅の道を進んだ。
いわゆる、『買い物依存症』である。
家賃光熱費の支払いを拒否して風俗店に通い、食費も半月あればさっぱりなくなり、強制断食あるいはコッペパンのみで飢えをしのぐようになった。
部屋の片付けすらままならなくなり、生ゴミの汁が畳に染みこむ不衛生な空間となり果て、カメラ目線をするドブネズミが毎日出現した。
ぎとぎとの油がこびりついたまま放置された鍋には、コバエやカの死骸がびっしりと浮いていた。
そのため、貧乏メシ定番のパスタやラーメンなんてものは作れなかった。
代わりとして、住んでいた高円寺の外れに、賞味期限間近のグミを数円で売り捨てている個人商店があったから、それを主食とした。
さらに、歯磨き粉を歯の表裏に付け、時間を空けてから舐めることにより、まるで新品のガムを食べている気持ちになれた。
でもさすがに腹が満たされなくなると、爺ちゃん婆ちゃんが心を込めて送ってくれた上京祝いの品――冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、パソコンなどを安い金に換えた。
栄養失調でまともに物を考えられなくなった僕は、悪魔に魂を売り払ったのだ。
そうまでして得た現金なのに、わずか一日足らずで消滅した。
アパートの一室で台湾人が整体をしてくれるグレーな風俗、女子高生が足で踏んでくれるブラックなエステで疲れを癒やし、焼き肉や寿司をたらふく食い散らかしたせいである。
かくのごとく、頭のネジが一つ二つと外れてゆき、借金の沼にズブズブと沈んでいった。
思い返してみると、高円寺駅周辺のホームレスたちに、「兄ちゃん元気か?」「いい女作れよ」としつこいほど声を掛けられた。
おそらく当時の僕は、彼らと同じ周波数というか、社会性が欠如したオーラを放っていたゆえ、同族相哀れむよろしく、似た者を惹きつけてしまうところがあったのだろう。
そして、住んでいる家の廊下に、布団やゴミを不法投棄し、不動産会社を着信拒否したのち夜逃げした。
あらかじめ、消費者金融を複数契約&クレジットカードをいくつも発行しておいたから、万事抜かりなしである。
そうこうして、即日入居可能なゲストハウスを転々とする日々がはじまった。
無職で無収入のため、審査の緩い物件しか選べない。
こちらは、3畳で窓がある部屋だ。
隣のこそ泥ヅラの外国人が、毎日、酒焼けボイスの女を連れ込み、しわがれたあえぎ声を響かせていた。
格安の物件を探し求めた。
値引きキャンペーン中、窓なし2畳の薄暗い部屋など、値段重視で選んだ。
まさに安かろう悪かろうであり、半グレグループの男が住んでいたこともあった。
彼は、女性入居者とのトラブルで怒り狂い、ゴミ箱を破裂させ、壁を蹴って穴だらけにし、女のハイヒールを踏み砕いた。
共同の洗い場で歯を磨いていると、「俺は今、潜伏中なんだ。酒飲める? 暇ならいつでも遊ぼう」と声を掛けられたこともあった。
貧困と犯罪は隣同士と言われるが、きっとこんな風に、オレオレ詐欺や出し子のブラックバイトを紹介されるのだろうなー、と痛感した。
正直な話、『未来はないが絶望は腐るほどある』状態だった借金だらけの僕は、「アウトローな仕事で逆転するか」と一瞬迷ってしまった。
貧困は犯罪の母なのだ。
借金で、街の占い師を頼ったり、自己啓発の本やCD/DVDなどを買い漁ったりしていた僕は、「一発当てるか死ぬかだ!」「生まれる前は無だったのだ。極端に成功しなきゃ、この地上に降り立った意味がない!」などと、狂気的なメッセージを壁に貼りまくっていた。
自分の吐いた言葉に洗脳され、『自己投資』という言い訳をしながら無駄遣いを連発した。
途中、アルバイトや職業訓練校に通ったが、休憩中に逃げ帰った。
『面接→採用→飛ぶ』を100回以上繰り返し、「働くのは無理だ……」という失敗体験が、しょぼい脳みそにこびりついた。
その情けない事実から逃れるべく、また無駄遣いをしてゆく。
そんな僕はつい先日、『買い物依存症』を取り扱うクリニックに足を運び、診察を80分ほど受けてきた。
すると、ADHD(注意欠陥多動性障害)の可能性を疑われ、『大人の発達障害』専門外来を紹介されてしまった。
それに該当するかはさておき、僕が無駄遣いに走り出したのには確たる理由がある。
社会不安の払拭と、親への復讐である。
話は幼い頃へと遡るのだが、僕の家族は崩壊していた。
父親は成金体質の会社役員、母親は情緒不安定であった。
夫婦喧嘩が絶え間なく起き、奇声、罵声が飛び交い、皿が割れて砕け、おもちゃが蹴り壊され、心の休まる日がまるでなかった。
僕が小学5年生の頃、母親が教師と不倫沙汰を起こし、家庭内の争いが激化してゆく。
父親は教師宅へ殴り込みに行き、やり取りの手紙、提出物などをすべて持ってこさせ、証拠集めをしていた。
中学校に入ると、僕はイジメを受けるようになった。
登校するたび、机や椅子を廊下に出されていたり、中休みに袋叩きにされたり、メガネに傷を付けられたりした。
その時分、母親は精神異常を来していて、壁に向かってジェスチャーを交えた独り言を喋ったり、なんの前触れもなくヒステリー症状を爆発させた。
僕が傷だらけで下校すると、「あんたは根性が腐っているって、みんな噂しているよ」などとささやかれたこともあった。
その上、夫婦共働きで忙しかったゆえ、毎夜、外食続きで、僕はイジメっ子に会うのが怖いから、「絶対に行かない」と口にしていた。
それが反抗的な態度に見えたのか、「じゃあ何も食うな! 生意気だな!」と父に怒声を浴びせられた。
僕はぐーぐーとお腹を鳴らしながら、笑い合って出掛けてゆく家族を恨めしく思った。
否、そんな低次元ではなく、「いつか殺してやる」と憎悪感情をたぎらせていた。
同じ頃、妹もイジメられっ子で、学校に包丁を持って行ったり、自宅の窓から飛び降りようとしたことがあった。
でもそのとき、「どれだけ迷惑掛けるんだ!」と親は口走った。
とどのつまり、内にも外にも味方なんて存在しなかったのだ。
だから僕は、幽体離脱するごとく、自分自身を人形のように捉えることで生き抜いた。
生きながらに死ねば、生きることも死ぬこともせず、浮遊ゴミのようにただ世界を漂える。
こうした黒く冷たい過去が、僕のトラウマを形成し、尋常ならざる社会不安と、血の煮えたぎる復讐心を完成させたのである。
それが20歳を超えたくらいに一斉噴火し、親の魂を吸い尽くすべく大金をせびるようになった。
「視線恐怖症になって、赤面症になって、大学を除籍処分になって、引きこもりになって、ニートになって、借金だらけになって、人生が最悪なのはお前らのせいだ!」
スタンドミラーを割り、モニタをズタズタにし、卒業アルバムを切り刻みながら、実の親を恫喝した。
復讐心と罪悪感、それから恐怖に不安に怒り、破滅願望と情緒不安定さが入り交じり、何がしたいのか分からなくなった。
多額の仕送りが呪われた金に思えてきて、捨てるように使った。
小銭を邪悪に感じて、駅前のアスファルトに叩き付けたこともあった。
一生懸命、ホームレスが拾っていた。
だが、僕の「親を許さない」という思想は、次第に薄れていった。
なぜならば、所詮、親も子も感情を持った動物でしかないことに気付いたからだ。
我々は、誰であれなんらかの過ちを犯し、ちょっとばかし歯車が狂っただけで、悲劇が巻き起こる人間交差点の中で生きている。
僕は大人になって、人間生命のあれこれを少しずつ学んでしまった。
そのせいで、怒りの持って行き場がなくなった。
僕の復讐心が所在をなくした。
親がどうたらではない、自分だけがクズなのだ……。
息苦しくなり、生きているだけで辛くなった。
訳も分からず社会を恨み出した。
現実逃避が必要になった。
金だ、金だ、金だ!
止まらなくなった。
借金をした。
暴走した。
狂った。
これが僕の、『買い物依存症』のきっかけである。
そしてあの頃、追い込まれていたのは僕だけじゃなかった事実を思い知った。
農家出身の父親は、逃げるように都会に出てきて、米に塩だけをふりかけて食べるような暮らしの中で猛勉強し、会社役員の地位まで這い上がった。
それもあって、「我が子に立派な背中を見せなくてはならない」というプレッシャーの中で、睡眠時間を限界まで削り、死に物狂いで仕事をこなしていた。
そして、フルタイムで勤務していた母親は、はじめての子育てに疲弊しきって、自分を抑えられなくなるほどに心を壊してしまった。
みんながみんな、必死に生きていた。
そこに悪意なんてただの一つも介在していない。
それぞれの正義感があって、みんながふらふらになるまで、自分の道を歩んでいるだけだった。
きっと僕の買い物依存症は、一生治らない。
それでも大事なことに気づき、家族の仲が良くなったから、とても幸せだ。
死ぬまで借金、死ぬまでリボ払い、それでもすこぶる元気。
ピピピピピ
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