この1年の僕は、憎しみだけに取り憑かれた廃人でした。
『リボ払い借金250万円』×『はじめての精神薬(ストラテラと個人輸入の眠剤)』によって、心に抱えていた地雷がどかぁ~~んっと大爆発し、人格と人生がぐっちゃぐちゃになった。
YouTubeで暴言を吐き散らし、生配信中にぼろぼろと涙し、メンヘラツイートを放り込み、虫が湧くほど生ゴミを放置し、Web連載記事の執筆も放棄し、女性視聴者に失恋したと嘆きまくり、自己破産だと喚いて弁護士事務所を渡り歩き、そして突然の失踪をやらかした。
言動も思考も信念も、なにもかもがコロコロと変わり、僕自身ですらどこへ向かっているのか分からなかった。
そうして大勢のファンを失い、推定100万円以上の損失を生み、あらゆるチャンスをドブに流し込んで、僕はただ孤独になって、ただただ絶望した。
ということで本記事においては、そんな危険領域からなんとか抜け出せたので、過去の憂鬱について、本音をぶちまけて書いてゆく。
ちなみに長らく失踪していたのだが、心温かな人々の支援があって、僕は2ヶ月前にどうにか復帰して、ひとまず10月分として、『319.173円』のYouTube収益を得られた。
蘇りを手伝ってくれた方々への、すこぶる感謝の念は、尽きることがない。
今度こそは、健康で健全なるままに生き抜いてゆく。
なんにせよ、今思い返してみても、危なっかしい日々であった。
やり場のない怒りで、無意識に皿を叩き割って、ガラスの破片で怪我をするなんてこともあった。
毎月約7万円の借金返済により、押し寄せる不安。
発達障害の薬ストラテラにより、膨らみ続ける憎悪。
通販で購入した睡眠導入剤により、一瞬で絡みつく虚無。
しかも、そんな現実から逃避したいが為に、不健康な下剋上メンタリティ――「必ずやヒエラルキーの頂点に駆け上がる!」という馬鹿げた夢を語っていたせいで、ますます自らの首を絞めることになった。
病むってのは、心が素っ裸になるようなものだ。
自分の嫌な部分が、ぱかーんっと露わになってゆく。
であるから見栄を張り巡らせて、自己防衛で傲慢になる。
とりわけ今年の3月4月は、精神異常のピークであり、下記のとおり、何の前触れもなくキレ散らかした。
今になって振り返ると、寒気がするほど暴力的かつ病的であり、「そんな発言ができるレベルに達してねーだろ」とセルフツッコミを入れる他ない。
そして、躁状態のイキリから一転して、鬱状態のかまってちゃんになると、自分に酔っ払った、ポエジーな文章を投下しまくった。
このように、絶望感と多幸感がブーンブーンっと交差する、『躁鬱のブランコ乗り』みたいな行為は、すごく気持ち悪いが、すごく気持ちが良い。
心臓がとろけるような、背徳感のある快楽がむくむく沸いて、とことん癖になる。
僕にとって躁鬱の症状は、趣味の一つかもしれない。
世の中は不思議なもんで、最低で最悪でくそ食らえなんだけれど、依存性のある不快感ってもんが存在するのだ。
そして、なにより恐ろしく感じたのは、ごくごく最近まで、『自分の狂い』を一切自覚できなかったことである。
あの頃はいつだって、全宇宙の全概念が敵に見えていた。
ビクビクと怯えて暮らし、他人のあらゆる言動にむしゃくしゃして、箸が転んでもブチギレる日々であった。
だけれど、僕はちっとも自分がおかしいなんて思えなかった。
そうこうしているうち続々と、『さすがにおかしいよ。情緒不安定にも程があるぞ。無理しなさんな』という、心優しいDMが飛んできた。
YouTube動画のコメント欄でも、僕が見せる病的な言動に対して、心配や非難の声が、いくつも書き込まれていった。
それでも僕は、「これは異常に見せかけた正常だ」「そんなことは全て知っている」「最初から何もかも分かっていた」「最悪の失敗も織り込み済みだ」とあらゆる意見を封殺し、親切心までも一蹴していった。
さらに、そうやって断言口調でした反論こそが、己に対する『負の自己暗示』となって、僕はますます狂気に満ちた。
理性のネジが外れてしまい、かつてないほど堂々とリボ払いをして、胸を張って薬を飲むようになった。
そして、頑張る余力などまるでないが、近いうちに頑張ることを示すため、数万~数十万円の機材をリボ払いで買いまくった。
つまるところ、ハリボテの本気を誇示する為、それらを手に持って、壮大なビジョンを熱弁するのである。
「みんな見ておけ! やる気が大爆発した! ひとまずセッティングだ! だから今日は休みますね!」
それっぽい理由さえ並べれば、『口先だけで何も成し遂げていない男』という、揺るぎなくダサい事実を忘れられた。
多重債務者の中には、クレカを現金化するヤバイ奴がいるように、この僕はリボ払いをすることで、『言い訳』を補充していたのだ。
『将来のための準備』という、マジックワードをばら撒くためである。
これさえあれば、炊事家事洗濯をサボっても、動画や生配信をドタキャンしても、連載記事を一行たりとも書かなくても、どしっと偉そうに生きられた。
ひどい実例をあげると、ネットで注文した荷物が、なぜか指定日に届かず、「今日のための言い訳が足りねぇんだよ! どうしてくれる!」などと、苛立ち発狂したのち、ふと5年前のマイコプラズマ肺炎・診断書を見つけて、それを言い訳のピンチヒッターに起用する日もあった。
僕はただ一生懸命に、自尊心を守るべく、言い訳を並べ続けた。
「いつか必ず、全てがドミノ式に倒れてゆき、僕は間違いなく破滅する」と、薄々分かっていたのに……。
正直なところ、『今の自分を傷付けない為なら、未来の自分は死んでも良い』と考えていた。
今を生きるため、未来の自分を殺す生き様がそこにあった。
なにも達成できない胸苦しさは、終わりを知らない。
切羽詰まった僕は、不健康な堕落をありのままに見せる、そんな苦肉の策にも打って出た。
『躁鬱病の一日』と題した動画をupするなどしたが、まるでコンテンツの体を成していなかった。
こちらは、無表情でお菓子を食い散らかし、枕に顔を埋めてじっと動かない、ただそれで終わりである。
しかも実はこちら、ポテチやチョコを口に放り込み、数回噛んだらすぐさま、背後に隠されたゴミ袋にげえぇ……げぇえ……、と吐き出していた。
なぜなら、薬の影響によって、動悸や吐き気、食欲不振が引き続いており、お菓子を飲み込むことさえ、苦しくてしょうがなかったからだ。
そして、心の消耗がいつまでも続くもんだから、ネット通販の箱を開けるだけで、ぜぇぜぇと疲弊するようになった。
借金苦と薬の副作用で、全神経が毒されてしまい、息を吸って吐くだけでやっとの状態である。
ここまで来ると、後片付けはおろか、物の移動すらも億劫になり、ベッドの上さえもゴミが散乱したまま。
その結果、眠剤をぽんっぽんっと口へ放り込むようなった。
それを胃に落として20分ほど待てば、壁や天井がぐわぁーんぐわぁーんっと、波打ち始める。
さながら魔法の絨毯、視界が歪みきって、別世界で飛んでいるような、トリップのスタートである。
つまり幻覚症状だが、おかげで将来不安を忘れられた。
そうして僕はいつも、夢と現実と妄想を行ったり来たりで、気付くと壁にしこたま正面衝突して、そのままぶっ倒れる日々であった。
生ゴミの腐敗臭から逃れるべく、お風呂場、洗濯機のうえで『リボ払い飯』を食べた。
心身は深刻であったが、自撮り撮影はやめられない。
カメラを止めてしまえば、YouTuberは死んでしまう。
写真の左目は、うっすらと赤く染まっている。
ムカツキが沸点を超えると、ぴくっぴくと眼球まわりが痙攣し、目の血管がパーンッと破裂するのだ。
こんなホラーじみた血溜まりは、いつもの事であった。
寝る場所は机の下、いつもここだった。
おそらく0.1%残っていた精神力が、「早くコンテンツ生み出せ。そして生き残れ」という、生存本能を生じさせて、僕をパソコン前へ連れて行ったのだ。
だけれど憔悴しきっていたから、何も撮れない、何も話せない、何も書けない――そればかりか、視聴者からの簡単なDMすら読めなくなった、ゆるいアニメのストーリーすら掴めなくなった、その果ては、遊び方も分からなくなった、休み方も分からなくなった。
「月7万円の返済がきつい……。このままじゃ家賃も光熱費も支払えなくなる……。ネットで飽きられたら終わる……。疲れた……。もっと借金しなきゃ、もっと病まなきゃ、もっと人間性を捨てなきゃ……。じゃないと野次馬にも切り捨てられて広告収益も上がらなくなる……。だけど頭が回転しない……。何をやるべきなのか分からない……。文字がぼやけて見えて本も読めない……。脳にアクセスできない……。頑張りたいのに頑張れない……。時間があるのに時間がない……。消えて散りたい……」
そして次第に、記憶も連結しなくなり、夢と現実が曖昧になっていった。
注文していない商品を待ち続けたり、逆に、「こんなもの買ってないよ?」という、身に覚えのないアイテムが配達されて来た。
ストラテラと眠剤と疲れにより、躁と鬱と不眠と過眠が交差するもんだから、みるみる精神衰弱が進んでゆき、まともな感覚が消えていたのだ。
もはや自己喪失、自分は何者なのかも分からなくなった。
「これは精神病なのか? 演技なのか? 本物なのか? 詐病なのか? 自己洗脳なのか? 脳や心に由来する情緒不安定なのか? はたまた偽造した心疾患なのか? 今は躁なのか? 今は鬱なのか?」
すさまじい疑心暗鬼に陥って、なにも信じられなくなった。
鶏が先か、卵が先か。
心の病が先か、キャラ設定が先か。
よく聞く話として、『役にのめり込みすぎた演者が、もとの自分に戻れなくなる』なんてのがある訳で、僕もそうなんじゃないか……って不安に襲われた。
そもそも僕は、過去に数百社バックレして、家賃滞納と夜逃げをするような、自分でもうんざりの社会不適合者である。
だから、一か八か、最後の手段としてYouTuberになった。
それを踏まえれば、そうなってもおかしくない。
これはもしや、生存本能によるマーケティングなのでは?
そんなアホらしい発想がぽこぽこ浮かんで、より一層くたびれていった。
頭がろくすっぽ回らないもんだから、『自宅から出てタクシーに乗る→カギとキャッシュカードを忘れる→タクシーで家に戻る→忘れ物をきちっとカバンへ→タクシーで再出発→カバンごと忘れる→タクシーで再帰還』という、永久機関に巻き込まれることが度々あった。
ADHDの注意欠陥、薬の副作用、自己不信、絶望など、がしゃがしゃに絡んでいるもんだから、24時間すべてに支障が出ていた。
自宅のカギやクレカなどをなくし、数時間の捜索をしたのち、カップ麺の残り汁でべっとべとになった姿で発見されるなんてのもざらにあった。
そんなゴミ漁りの過程で、涙がぽとぽと落ちていった。
未開封で腐らせた食材、一口噛んで吐き捨てたお菓子、精神薬の包装シート、腐敗を求め飛んできた小バエを閉じ込めたビニール袋……。
それらは、生活の破綻と、みじめな僕自身を象徴するようであった。
そして当時、毎日2万文字くらい、DMやコメントに返答していた。
お悩み相談室よろしく、日に3時間ほど返信作業に当たった。
なぜかといえば、自信が欠落していたから。
この僕は、『借金、無職、落ちこぼれ』といった、ネガティブな要素をエサにして、YouTubeで野次馬をがさっと集めた。
「火事場と一緒で、みんないずれ去ってゆく。今のうち、どうにか視聴者を繋ぎ止めなきゃ、生き延びるためにタイピングしなくちゃ」
すなわち強迫観念であり、「目が痛い、時間が無い、切りがない……」と辛く感じつつも、見捨てられ不安を解消すべく、キーボードを叩きまくった。
でも結局、無理がたたってバタンキュー。
そしたら、「私のことを見捨てたんですか?」「なんで無視するの_」などと、いきなし反応がなくなった僕に、不信感を抱く者がごろごろと現れた。
何十回もアドバイスをしたのに、一回疲れてスルーしただけで、「死ね」と言われて関係が切れることもあった。
やることなすことが水の泡となって、僕の心はがくーんっと沈んだ。
それでも自分を奮い立たせるべく、「命を頑張ろう」というツイートを繰り返した。
貧困ハウスで暮らしていた時代、ガラケーで写し撮ったドブネズミを添えて。
でも悲しいかな、そんなものは慰めになるどころか、『義務感』『プレッシャー』の発生源となって、さらなる疲れを呼び込んでしまう。
「起死回生しなきゃ……!」と悲壮感だらけの僕は、「これで邪魔な感情を消し去れば、無心に頑張れるはずだ!」と、ストラテラを飲みまくった。
だが、ひどい頭痛に寒気に動悸がはじまり、頑張るどころではなくなる。
しかも薬の副作用で、喜怒哀楽が消え去って、この世界が静寂に包まれてゆく。
感想の持てない虚しさ。
心がすごく整う、死んだように。
不安や恐怖も感じなくなるが、得体の知れない孤独感が引き続く。
それでも僕は、「ストラテラ80mgは救い! 劇的に効く! 心が驚くほど整う! 最高だ! ありがとう! すこぶる感謝!」と叫びまくった。
むりやりに笑顔を浮かべて、ありったけの力で賞賛した。
なぜそんなことをしたのか?
答えは簡単である。
破滅願望だ。
それもすごく複雑な話、破滅したくないから破滅するしかなかった。
「おまえには資格も学歴も専門性もない。じゃあ何がある? 憂鬱だ。いつ死んでも構わないと思えるくらいの絶望だ。なら極端に狂え。壊れてゆく自分を商品にしろ。なんせ、持たざる者。悪夢をルポせよ。病みから目を醒ましたって、現実には何もないんだから」
そうやって僕は、僕自身にしつこく言い聞かせた。
自律神経がひどく乱れ、手先がぷるぷる震えて、じりじりと焼けるようだった。
辛ければ辛いほど、正しい道を進んでいると確信できた。
「どうせ僕はすでに壊れている、ならばもっと壊れた方がマシになる。メンヘラ界だって競争市場だ。どこにでもある闇の中で、ありきたりの病みを訴えたって、なんにも評価されない。絶望と筆圧と異常を尖らせて、個性ある悲鳴をあげろ」
怨念じみた自己洗脳である。
己の心に教祖様が誕生していた。
1の狂いが10の狂い、10の狂いが100の狂いになった。
そして虚無感の中、憎しみだけを漂わせて、僕は完全に壊れた――
というのが、この1年の僕のドロドロとした軌跡です。
最後の方になると、借金を踏み倒す方法を弁護士に訪ね歩いたり、リボ払い関連企業の社員を道連れにしてやろうと考えたりで、攻撃性しか残っちゃいなかった。
どう見ても理不尽な暴走だが、どれもこれもすべて、『弱い自分の心を守る』という防衛機制によるものだから、止めようがないのだ。
これは攻撃じゃなく、防御なのである。
正当防衛の名の下に、どんな罪でも犯せる。
なんとも危なっかしい精神状態だった。
そこから引き返せたのは、奇跡としか言い様がない。
たまさか、1発目のYouTube動画がバズったり、たくさんの応援者が付いたり、復帰した日には20万円ほど投げ銭をしてくれる方がいたり、ずっと放置していたのにまたWeb連載記事を書かせてもらえたりと、どこまでも大勢の人間に救われて生きてきた。
そして、今回の精神崩壊によって、改めて思い知った。
それは一言でいえば、人間が絶望するのは、『自分への期待が裏切られたとき』というシンプルなものである。
別名、『死に至る病』とも呼ばれる訳だが、まさに僕の問題はすべて、ココに集約されていた。
みじめな自分を隠そうとするから、理想と現実の境界線が消えてゆき、『自分にガッカリする』という場面に遭遇しまくるのだ。
だから考えるべきは、異常性を抱えたまま、自分と周りの人間がハッピーになる方法である。
その為にはまず、徹底的に自分を許しまくる。
生活保護も障害者年金も試食品コーナーも、使える物はすべて使い倒し、ワガママもばらまいて、地団駄も踏みまくり、最高にロックな愚かさを誇れば良い。
馬鹿で醜くてどうしようもないまま、そんな自分を愛して地球を闊歩してゆく。
これこそが、出来損ないの生存戦略なのだ。
ピピピピピ
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