さて、場面は変わる。普通の女の子だった私が「風俗嬢」になったのは、神戸三宮。
[三宮駅と私]
あの頃住んでいたマンションからは、電車で約一時間。
三宮駅のすぐ近くにあるその店を選んだのは、「たまたま最初に見つけたから」ってだけ。
[今も誰かを飲み込む広告]
「お金が足りない」となった頃には、もう手遅れだった。
毎月20万円弱のうち、家賃は3万円。11万円が、借金返済に消えていく。
光熱費や携帯代、毎日のご飯代を払えば、毎月25日に振り込まれる給料は、すぐに底を尽きた。
「やばい。同期との交流会や、先輩との付き合いだってあるのに……。」
悩みもしなかった。聞き覚えのある求人サイトにアクセスして、思い立ったその日のうちに、電話をかけた。
キャバクラやスナックですら働いたことのない私が扉を叩いたのは、ファッションヘルス、通称箱ヘルだった。
[ここにもお店がある]
あの時、私はここで、「普通の女の子」を捨てた。
毎日酔っ払いに身体中を舐められて、バカにされて、落ち込んで。
どれだけ惨めでも、その「不快感」は全て、お金になったから。だから、我慢できた。
申し訳ないことをした、と、今でも思う。
判断能力の低い、世間知らずのあの頃の自分の判断で、その後の人生に大きく関わる、重大な決断をしてしまったから。
[いつもコンドームを買っていた薬局]
私にとって「あの頃の私」は、風俗嬢になりたての自分だった。
はじめて好きな人以外に体を許した瞬間のこと、酷い言葉を浴びせられた日のこと。
既婚者ばかりが店に訪れるという事実を目の当たりにした日のこと。
あの頃の気持ちが、どうしてもどうしても思い出せなかったのだ。
だから、会いにきた。
きっと苦しんでいたよね、1人だったよね。悲しかったよね。
泣いていた気もするし、怒っていた気もする。
今もこの街のどこかで、「ひとりぼっちの私」が、成仏できずに彷徨っているんじゃないかって。
「あの頃の私になんて声をかけてあげれば良いだろう」そう思って久しぶりにこの街にやってきた。
やってきたけれど、よく知るあの場所に立って蘇ってきたのは、意外にも、苦しい記憶ではなかった。
[お店の近くの路地]
18才のみかんちゃん。
駅につくといつも店のツッカケを履いて迎えにきてくれた、可愛い女の子。
ホストにハマって「ソープに行く」って言い出した時には、泣いて喧嘩したっけな。
ジュリアちゃん。
私が部屋でイマラチオを強要されて、髪の毛を掴まれて床を引きづられた時。
泣きながらタオル一枚で待機室に飛び込むと、男性スタッフを急いで外に誘導してくれた。
わんわん泣いてる私を抱きしめて、頭を撫でてくれた、優しいお姉さん。
天使ちゃん。
いつもナンバー3にいた、お店の看板娘。部屋交換の度に水滴ひとつない部屋に驚いたっけ。
情緒不安定な母親から「死ね」とか「消えろ」とかって届き続ける携帯をぼーっと眺めている私のそばに来て、
「親なんていないと思いな」って、携帯を逆パカして、新しいものを買い与えてくれた。
今思い返せばなかなかクレイジーだけど、彼女の言葉に、どれだけ心が楽になっただろう。
「あの頃の私」を巡っていて思い出したのは、「あの頃の私達」だった。
それぞれの事情を抱えながら、肩を支え合って、この街に生きていた、私たち。
ああ、そうか。私は、一人ぼっちなんかじゃなかったんだ。
確かに家族はいなかったけど、苦しいことは多かったけど、だけどあの頃の私は、一人ぼっちで泣いてなんていなかったんだ。
ねえ、みんなは元気かな。
本名も知らないし、どこにいるかも分からないし、連絡先も知らないけど。
ねえ、みんな、生きられている?ちゃんと、笑ってる?
相互フォローよりも重みのない「母親と私」よりも、
お互い本当のことをなにもしらない。だけど、全部の気持ちを抱きしめあっていた彼女達の方が、
よっぽど、よっぽど。私の「家族」だった。
yuzuka
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