「もしもあの時にさあ」
夏。かき氷。市民プールの更衣室の匂い。ソーダのアイス。公園の蝉の声。
あの頃のままの風景に、あの頃には戻れない私たちがいた。
「もしもあの時に、君を追いかけていたら、私たちって、どうなってたかな」
蝉の声には調和しない、できるだけ穏やかな声で聞いた私の方は見ずに、君が笑った。
答えは、それだけだった。
化粧が崩れるからと、毛穴という毛穴に液体を塗り込んだ私は、汗をかかない。
夏は嫌いなんだと、普段外に出ない、君の額からは、汗が溢れる。
私たちはいつから、違ってしまったのかなあ。
何度も、何度だって、君を思い出したんだ。
いつも三毛猫が座っている無人駅、よく行った変な名前のスーパー。
そこにいる、「いらっしゃいませ」が独特な、アルバイトの男の子。
あ、そういえばあの男の子、店長になったんだよ、ねえ、しってた?
そうやって、いろんな場所、いろんな瞬間に、頭の中にひらひらと浮かぶ君の面影を追いかけては、
「あの時こうすればよかった」なんて回想を、お金をかけた映画の、しつこいウェブ広告みたいに。
何度も何度も、何度だって、頭の中で繰り返した。
次に会ったら、できるだけ凛として、できるだけ、さりげなく、なにげなく、興味のないそぶりで。
そうやって近づいて、「君と見たかった景色」の向こう側にたどりつくように、君との時間を、もう一度、手繰り寄せるんだ。
大丈夫、やりなおせる。
大丈夫、終わったわけじゃない。
そうやって、ずっとずっと、ずーっと、意気込んでいた。
だけどさ、久しぶりに、いつもの場所で会った君からは、もうあの時の柔軟剤の匂いなんてしなくって。
普段持たなかったハンカチなんて持っちゃって、見たことのない新しいスマホケースを使いこなしていて、
そして、なによりも、私の知らない、見たことのない笑顔で、私に、笑いかけた。
私の方は、見なかった。
その時にね、初めて終わったんだ。
私たちは、もう、やりなおせないんだって、もう、違うんだって、始めて、思ったんだ。
多分、一緒に過ごさなかった少しの時間を、とりもどすことはできない。
あの頃に使っていた柔軟剤をぶっかけたって、君はもう、あの頃の匂いにはならない。
多分ね、もっとずっと前から、君からは、違う匂いがしてたんだ。
だけどね、見ないようにしてた。気づかないようにしてた。
それでも貴方にすがりたかったのは、あの夏の時間を、やっぱり、幻にはしたくなかったから。
うまく言えなかった「さようなら」を、今ならちゃんと、言える気がした。
「さようなら」を言わない別れがどれだけ残酷で、そして難しいか、私だってもうちゃんと、分かっていたから。
「幸せになるよ」
横にいる君を見ないで、そう言った。
君はようやく私を見て、知っている顔で、笑った。
ああ、悔しいな、こんな時だけ、察しが良いんだから。
ああ、悔しいな、なんで君も、泣くんだよ。
私たちはもっと、「さようなら」を大切にしなくっちゃいけない。
泣いて、苦しんで、考えて出した答えだから。
あの時選んだ自分を裏切らないように、美しい思い出を、溶かしてしまわないように。
終わったことには、意味がある。
終わったことにも。意味はある。
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