みなさん、こんにちは。
社会人6年目、おっちょこちょいOLのきじ田 とらみ(@KijitatoramiA)です。
実は、私は今の会社に新卒入社してから6年弱、直属の上司からずっとパワハラを受け続けてきました。(詳しくは前回の記事をご覧ください)
前回の記事:おっちょこちょいOLの脱パワハラ奮闘記「過去、私が受けてきたパワハラについて」
今回は、一大決心をして人事部に相談をし、会社から希望していた対応を勝ち取るまでのエピソードを、教訓といっしょに紹介していきます。
もし、今パワハラに苦しんでいる方、もしくは周りに苦しんでいる人がいる方は参考にしていただけると嬉しいです。
目次
人事部の門をたたく。
まずは、人事面談の機会を得るために、人事部長にメールを送りました。
「お疲れ様です。人間関係と業務に関してご相談したいことがあります。
お手すきのタイミングで面談をお願いできないでしょうか。」
人事部長からは早々に快諾の回答が。
とある日の定時後に面談の時間を貰うことができました。
幸い500人規模の小さな会社で、本社の機能が1か所に集約されていたため、大げさな手続きを踏むことなく、機会を得ることができたのです。
教訓1:感情的になっちゃダメ!
当日、私は手記と考課表(仕事の成績表のようなもの)を持って人事面談に臨みました。
「さて、どうしましたか?」
人事部長は優しい口調で、私に尋ねます。
「業務の負荷が大きく、心身ともに支障をきたしています。現在の上司の下について6年目ですが、方針の理解に苦しむことが多く、次回の組織変更の際には、異動を検討していただきたいです。」
どうして強い口調で言えなかったのかと言うと、他部署に長年にわたりパワハラを受けていているにも関わらず異動できていない人が沢山いたからです。
他にも異動させてほしいひとがいるという、背徳感から、「できれば異動させてほしい」という曖昧な伝え方になってしまいました。
その後は、今までにされたパワハラを言葉で伝えていきましたが、渦中にあったこともあり、つらい気持ちがこみあげてきて、涙が止まらなくなってしましました。
話す内容も感情的に……。
面談というよりは、人生相談のような感じになっていたと思います。
その後、組織変更があった訳ではないですし、むしろ上司からさらに理不尽な対応をされることが増えました。
後から分かったことですが、面談後にパワハラ上司に対して人事指導が入ったようなのです。指導されて素直に改善するような人間なら、こんなパワハラなんてしないはず。
その指導が逆鱗に触れ、現状はさらに悪化してしまったのでした。
感情的になっちゃダメ。事実と会社に対するデメリットを淡々と述べよ
教訓2:人事異動が考慮されやすい時期を狙え!
さて、1度目の人事面談が上手くいかなかった私。組織変更はあきらめ、ただ毎日を必死に生きていました。
そんな中、元人事部にいた先輩とお話をし、こんなことを教えてもらいました。
「組織変更を検討する時期は上期分(4~9月)なら1~2月、下期分(10~3月)なら7~8月。その時期を逃すと、埋もれてしまうの。だからできるだけ早い方がいいし、1度の面談では流れてしまう可能性が高いから、何度も根気よくやろう。」
その時、既に9月半ば、下期の人事異動を発令するには時期が直前すぎました。絶望にくれる私。
ただ、「早い方がいい、何度も伝えた方がいい」というアドバイスを元に、翌日、再度人事部へアポイントをとりました。
人事異動が考慮されやすい時期を狙え! 恋も仕事も人事異動もすべてはタイミング命
教訓3:周囲にアラートをあからさまに発せよ
さて、2度目の人事部長面談。今度はしっかりとレジュメを作っていきました。
異動の希望を伝える文面、そしてその根拠。A4用紙3枚分の大作です。
根拠には、上司にパワハラをされた際、「いつ」「誰が」「どういう状況で」「どんなことをされたか」をできるだけ具体的に書きました。
例えば、下記のようにです。
-------
- いつ:2016年12月26日
- 誰が:パワハラ上司
- 状況:保管期限の切れた帳票を廃棄しようと、部員で書類を整理していた際
- どんな:箱を持ち出すタイミングが自身の思惑と違うことに激高し、私に対して「いい加減にして」と怒鳴りつけ、近くにあった段ボールを蹴り上げ威嚇した
-------
そして前回の人事面談の教訓をいかし、できるだけ淡々と事実を述べるように努めました。
すると、人事部長からこんな事を聞かれました。
- 私自身が上司の行為をパワハラだと感じたかどうか
- 会社を続ける意思はあるか
これらに対し、私はいずれも「はい」と回答。
前向きに検討すると言われました。
ただ、下期に入っても人事発令はなく、異動することはできなかったのです。
その後も状況は悪化。上司の気分の浮き沈みは一層ひどくなり、ひどく当たられることが増え、心身ともに限界を迎えてきました。
通勤中の車酔いをするようになり、乗り換え待ちの駅のホームで嘔吐してしまうことも。通勤中のサラリーマンに優しく新聞をかけて貰った時は、悲しいやら情けないやら臭いやら笑えてきました。(かけて貰った新聞は日経新聞でした。)
通勤前には涙が止まらず、母から通勤を止められることもありました。
ただ、膨大な業務を抱え、会社には一緒にパワハラを受けている優しい上司を残していたので、辞める勇気も出ず。青白い顔をして出勤。車酔いで遅刻も増え、まともに出勤できた日は、月の半分くらい。
他部門の人からも心配されるようになっていました。
そして、最後に一度、人事部と面談をすることにしたのです。
これでもダメなら、もうバックレるつもりで……
すると、人事部長からこんなことを言われました。
「きじ田さんを12月1日付で異動させます。」
衝撃でした。周囲の人たちがこんな声を発してくれていたようです。
「きじ田さん、体調が悪そうですよ。」
「きじ田さんのこと、気にかけてあげてください。」
「経理部、崩壊してますよ。」
色んな視点から、アラートを発してくれていたおかげで、人事部も真剣に向き合わざるを得なくなったようです。
中小企業ならではとも言えますが、自分の味方になってくれた人たちには、本当に頭が上がりません。
教訓4:会社に依存しすぎない基盤を作る
私の場合はズバリ、転職先を探すことでした。
今の会社を辞めてしまうと、経済的にかなり困窮してしまうことが目に見えていたのです(奨学金・妹の学費・実家の援助などなど……。)。
そうすると、生きるためにはこの地獄の中に居続けるしかない。
入社6年目で、ある程度、社会人に求められているスキルを身に着けている実感があったので、思い切って新しい生活基盤を作ることも模索しました。
まずやったことは、経済的な地盤を固める為に、転職エージェントへの登録。(私の場合は、友人が利用していたdodaに登録しました。)
パワハラの現状と職歴を相談しながら転職先を探すのは、私にとって希望の糧になりました。
地獄の日々の中で、休みの日も職務経歴書を書いたりして、気を紛らわすことができましたのです。まさに不幸中の幸い。
会社側と利害が一致
最終的には人事部が経営陣を脅し、12月という異例の時期に異動を勝ち取ることができました。
人事部長はこのように、経営陣にかけあってくれたようです。
「きじ田さんのパワハラ事例は確実にクロです。幸いにもきじ田さんは、パワハラの申告はせず、速やかな異動を望んでいます。
パワハラ認定を受け、訴えられたら会社は確実に負けます。入社6年目の戦力を失った上に訴えられるのと、多少無理をしても組織を動かすのと、どちらが適切か、一目瞭然ではないですか?」
私がパワハラ認定をしてほしくないのには、理由がありました。
恨みを買ったことによる、「上司からの報復行為」が怖かったのです。
私が所属しているのは従業員500名程度の小さな会社、いくら部署が変わったとしても、関わる機会を0にすることはできません。
パワハラ上司や私が部署異動をすれば、ただ接点が少なくなるだけで済みますが、この関係が「パワハラ認定」をされれば上司の降格や減給は確実。
そうすれば、恨みだけが残り、社内に噂が広がれば私自身の肩身も狭くなると考えたのです。
上司に高給をとられ続けるのはカンに触りますが、まず私自身の立場を守りながら、生活する基盤を整えたかったので、会社との利害が一致し、理想的なシナリオで、異動を勝ち取ることができました。
異動後
そして、無事に希望する異動を勝ち取ることができた私。
入社以来、ずっと同じ上司からパワハラを受け続けてきたので、毎日がとても楽しく穏やかに過ごすことができています。月曜日が辛くない週末を迎えるなんて何年ぶりか……
もともと、今の仕事も会社も大好きだったこともあり、逃げるように辞めなくてよかったと思っています。
ただ、パワハラを受け続けた状態では、今のようにこうして健康に生きることはできなかったでしょう。
楽しい毎日の反面、異動した今もパワハラの後遺症がいくつか残っていて、苦しめられる瞬間があります。
次回は、異動後の心境の変化と後遺症について綴っていきます。
きじ田 とらみ
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