考え方

アスペルガー症候群の彼を、殺そうとした私

2018年8月6日

言葉を失う

という経験を、私はあまり、してこなかった。

 

そりゃそうだ。言葉を書くのが仕事なのだから。

どんな場面でも言い返すことができたし、自分の思っていることを言葉にする能力には長けていた、と、思う。

だけど彼と出会ってからは、何度も何度も言葉を失うという状況に直面した。

 

言い返せないのではない。言っても無駄だと思うのだ。だっていくら噛み砕いても、いくら説明しても、伝わらない。

伝わらないというよりも、聞く耳すら持ってもらえない。私の言葉も涙も気持ちも、彼には一切、届かないのだ。

 

伝わらないという状況ほど、辛いものはない。

自尊心は傷つけられ、気持ちは麻痺した。言葉にする力も残っていないほど、私の心は、疲労困憊していた。

 

どうして、彼に私の気持ちが伝わらないのか。

彼が自己中心的だからか、人の心を持っていないからか、優しくないからか、愛されていないからか。

 

違う。答えはもっと、シンプルだ。

私の彼は、アスペルガー症候群だった。

 

この記事は、いつもの視点からは離れて、完全に私の体験談を記していこうと思う。

私は彼と出会うことで「障がいを理解しろ」「周りの人間が支えろ」というのが、どれほど難しいことなのか、はじめて分かった。

 

精神科の看護師として、今まで大勢の精神疾患や発達障がいの患者と関わってきて

その全ての人に寄り添え、愛せてきたはずだった私が、いざ当事者となると、感情をコントロールすることができなかったのだ。

 

理不尽で、酷くて、理解ができない行動も、全てはアスペルガー症候群が引き起こすものだ。その人が悪いわけではない。

だけどそれを、頭ごなしに「受け入れなければ心が狭い」というのは、酷だ。想像以上に、酷だ。

 

この話を読んで、もしかすると不快に思う人がいるかもしれないけれど、それでも誰かが共感して、少しでも心の荷物が軽くなることを祈り、言葉にしてみる。

本人だけではない。それに寄り添う家族や恋人、友人。

 

私達は、誰の言葉も無視すべきではない。

全ての声に、耳を傾ける必要があると思うのだ。

この物語に出て来る「彼」、すなわち私の恋人は、自他ともに認める性格の悪さをほこっており、「それは発達障がいというよりは、そいつの性格が悪いだけじゃないの?」という場面が、たくさん、そりゃあもうたくさん出てきます。

 

ですので、

「アスペルガー症候群を発症している人間全てがこんな奴だと思われたくない!」

という意見が大量に出てきたとしても頷けるのですが、

そこはあくまで私の体験談として、包み隠さず、ありのままで書かせてください。

 

お読みになる方は、『アスペルガー症候群=彼のような人間』ということではなく、

アスペルガー症候群をもつ、彼のような人もいたという見方をしていただき、

数多くある中のひとつのケースとして、捉えていただきたいです。

 

※1 どうして好きな人の悪口をいうの?という意見が出るかと思いますが、

愛とは人それぞれ、形が違うのです。

 

※2 この記事は本人に確認してもらい、掲載の許可を得ています。

 

目次

小さなこだわり

思い返せば、小さなこだわりはあった。

置いている物の位置だとか、自分の持ち物に対する執着だとか。付き合う前からそういったこだわりのようなものは見られた気がするけれど、だからといって、それがおかしいとは思わなかった。

 

たとえば彼は、同じブランドの、同じ色の、同じサイズのTシャツを、大量に購入していて、それ以外は着用しなかった。

自分のデスクの物の位置が数ミリでも変わると癇癪を起こしたし、公共のトイレも使える場所は決まっていて、少しでも不潔だと判断すると、いつまででも尿意を我慢していた。

 

だけど、私はそれらの行動を、よくある潔癖症の類だと思っていた。

なによりもその頃、私にはなんの実害もなかったのだ。彼は所謂会社員とは違ったので、「やっぱり自分で仕事を作りだす能力のある人は、ちょっと変わっているんだな」と、羨ましくさえ思っていた。

(最も、この時に彼と似ていると思い浮かべたapple社のスティーブ・ジョブスも、アスペルガー症候群だったと言われている。無論、それらの事実は後から知った)

 

そう、とにかく、その頃はなんの問題もなかった。

私は彼に愛されていたし、私も彼を愛していた。

 

付き合って一緒に暮らし始めてからも、それらに対する特異的な出来事はなかった。

私にとって彼は、いたって普通の、ちょっと潔癖症で物静かな男性だった。

 

「空気が読めない」瞬間が増える

「あれ?」と思い始めたのは、ありふれたデートの時だった。

言わなくても良いんじゃない?という言葉を、大勢の人がいる前で、平気で口にする。

 

料理がおいしくないとか、映画が面白くなかったとか、そういうことだ。

わざわざ今言わなくても良い。

誰もが空気を読んでそう判断しそうな場面で、彼はそれらの言葉を、何の気なしに口にした。

 

映画の終演後、周囲の人がすすり泣いて「良かったね」と話す中で、周りに聞こえるような声で「どこが面白いの?全然面白くないよ」と、コメントし、皆が感動するヒロインが泣いているシーンの話をふっても、「なんであの人は泣いていたの?意味が分からなかった」と、不思議そうにした。

帰ってから、「あまりみんながいる前で、ああいうことを言わない方が良いんじゃない?」と話すと、途端に機嫌が悪くなる。

 

「人にどう思われようと関係ないじゃん。事実を言ったことの何が悪いの?嘘をついて褒めれば良いわけ?」

私はその言葉に、何も言えなくなった。

 

空気を読むというのが、極端に苦手なように思えた。

理由のない暗黙の了解を、彼はとっても嫌った。

 

そういえば、と思い返す。彼は学生時代、どのバイトも長続きしなかったと話していた。

「これをこうしてね」という無意味なルールや、暗黙の了解のような決まりごとに我慢ができず、どうしてそうするのか、詳しい説明を得られるまで、固まってしまう。自分が納得できるまで、指示を飲み込むことができなかったのだ。

 

幸い彼には才能があったから、仕事では大成を果たす。

だけどよく考えてみれば、彼は誰かの下で働いたり、集団行動の中に溶け込んだことがなかった。(学生時代も殆ど一匹狼だったという)

 

空気の読めない瞬間は、友人との会話や、私とのコミュニケーションの中にも見られた。

ちょっとした日常会話が、スムーズにすすまない。

 

「そうなんだ」ですみそうな世間話も、自分と意見が食い違えば、納得できる形に訂正するまで、執拗にまくし立てる。

「なんでそう思うの?根拠は?ソースは?それってただの主観じゃないの?」

あまりにも突然スイッチが入るので、空気が凍りつくことも多かった。

 

だけど彼は、気にしないのか気づかないのか、自分の意見を通すことに徹した。

夜景を見て、ただ「綺麗だね」とすら言えなくなっていった。どんな言葉が彼のスイッチを入れるのか、なんという言葉が返ってくるのか、分からなかったのだ。

 

共感能力のなさに悩みはじめたのは、私が最初に泣いた日だった

それだけではない。彼は曖昧な指示が、極端に苦手だった。

「チョコレートが欲しい」と言えば、棚にあるチョコレートを、端から端まで全て買ってきた。

 

いつものように、何気ない会話の中で言われた一言にショックを受けた私が、涙ぐんでいたときもそうだ。

彼は面倒くさそうに、「具体的に言ってくれ。君が泣いていたらどうしたら良いんだ?抱きしめれば良いの?大丈夫?って声をかけるの?はっきり指示してくれば、今後はその通りにするよ」と言った。

「そういうことじゃない」と思ったけど、彼は曖昧な感情の話をひどく嫌うから、言えなかった。

 

私は感情の話がしたいし、感情で行動をしたかったし、彼にもそうしてほしかった。

「抱きしめて」と指示して抱きしめてもらうのではなく、泣いていたら抱きしめたいと思ってほしい。悲しみや怒りに共感してほしい。共感したうえでそのような行動が自然に出るのが、愛するということではないの?

だけど彼は、そういうことを嫌ったし、できないようだった。

 

もしかしてこれって、私がおかしい?求めすぎてる?

少しづつ、何が正しいのか分からなくなってくる。

 

彼と付き合ってから、「そんなこと言わなくても分かるじゃない」という部分を、細かく言葉で説明しなければならない場面が増えた。

例えば悲しんでいたら、「どうしたの?」って話を聞いてほしいとか、傷つくことは言わないでとか、泣いていたら、共感してほしいとか。そういうこと。

 

そしてそれを言葉にすればするほど、何が正しいのか、自分でもわからなくなる。

私が面倒くさいだけなのだろうか、間違えているのだろうか。

 

「ねえ、好きな人に共感して行動する。それって普通じゃない?どうしてできないの?」

 

ある日泣きながら言った私に、彼はこういった。

「君の普通を押し付けるな。それが普通っていうデータはあるの?俺の中の普通は、これだ。それにそういうのって、不合理だ。的確な指示を与えてくれた方がお互い合理的でしょ。よくわからない話し合いなんて、時間の無駄」

 

私は黙り込むしかなかった。何を言っても無駄だと思ったのだ。

 

「浮気」にもマイルールを適応される

ある時、彼が浮気をした。

細かいことは掘り返したくないから置いておくとして、酷く傷ついた私に対して、彼はそれに伴うだけの罪悪感を抱えてはいないようだった。

 

許すと決めて一緒に過ごすことを決めた私ではあったけど、何度も何度も裏切られた事実がフラッシュバックする。

一緒にいても苦しくなると悲しさを吐露した私に、彼はあっけからんと、こう言い放った。

 

「元気を出せよ。終わったことなんだから忘れるしか解決策はないでしょう。

ずっと悲しむ意味がわからない。終わったことなのになんで悲しいの?悲しんでなんの意味があるの?」

 

ああ、やっぱり。

この人には分からないのだ。と、思った。

 

悲しむことに、目的がある人がいるだろうか?

誰も、悲しみたくて悲しんでいるわけではない。

 

私はただ、寄り添ってほしかった。

過去を掘り返して怒ったり、喚いたりしたいわけではない。

ただ、悲しい。そして、悲しみを認めてほしい。それだけだった。

 

だけど、彼にはそれが、理解できない。

もう、言い返す力も残ってはいなかった。

 

彼は私を愛しているのだろうか?

もしも愛しているのだとしたら、何か、大切なものが抜け落ちている。

大きくて、かけがえのないもの……。

 

そうだ。それは、私への共感だ。

 

私が傷つくだろうとか、私が苦しんでいるであろうとか、そういう感情の部分へ共感する能力が、著しく欠落している。

(どうしてこんなに苦しんでいるのに、分かってくれないのだろう)

その時は答えが出なかった。

 

ただ、彼の横顔を呆然と見つめていた。

行き場を無くした、まだ私の中に残っている少しの愛が、彼を放棄する、すなわち別れるという選択肢だけを、寄せ付けなかった。

 

友達にも、相談ができない。だって、「そんな男は捨ててしまえ」と、多くの女性にアドバイスをしているのは、他の誰でもない私だった。

相談なんて、できるはずがない。

 

私は一人でそれらの事実を飲みこんで、彼の不可解ともいえる共感能力のなさに、悩み苦しんでいた。

どうすれば分かってくれるのか。どうして分かってくれないのか。

 

むしろ、私がおかしいのだろうか?もしかして正しいのは、彼なの?

浮気ひとつとっても、一般常識が通用しない。

 

そもそもどうして浮気が悪いことなのかも、分かっていないような口ぶりを見せる。

彼は浮気の後の話し合いでも、私が泣いて崩れ落ちるのを見ながら、不思議そうな顔で、こういうのだ。

「そもそも浮気ってなに?だって不倫は法律違反だけど、浮気はモラルとかマナーの問題でしょ?悪いかどうかって、一概にはいえないよね。俺にとってこれは、浮気じゃない。それに僕は君が好きだし、君といて楽しい。それで良いじゃない。なんの問題があるの?」

私がどう思うかという視点が、すっぽりと抜け落ちていた。

 

嘘をつかれて悲しかったということ、浮気をされて苦しかったということ。

「そもそも浮気ってなに?」と開き直られて、悔しいということ。

 

そういう全ての感情を、無視されているような気持ちになった。

 

「悪いと思わないの?」

尋ねた私に、こう答える。

 

「もう謝ったし、これ以上どうしようもないからね。逆に、どうしたら満足するの?」

 

アスペルガー症候群の男性が、罪悪感を持たずに浮気を繰り返しやすいというのを知ったのは、もっともっと、後のことだった。

 

はじめて人を殴った日

パチン、と、音がした。

私は彼の頬を、強く平手打ちしていた。それは、私がある病気の宣告を受けた時の出来事だった。

 

私はある日、道端で倒れて救急車で運ばれた挙句、ちょっと大きな病気の宣告を受けた。

体重は6キロ以上落ち、毎日発熱を繰り返す。

 

息をするのも苦しい中、私が家に帰宅すると、彼は開口一番、「部屋の掃除をしてね」と言った。

私が入院していた数日間で、部屋は酷く汚れているように思えた。

 

勿論、彼のデスクを除いて。

 

「まさか」と思った。

誰に会っても痩せたと言われ、何を手伝おうかと涙ぐまれたような状況だったのだから。

 

仮にも恋人であり、私を一番大事に思うはずの彼が、こんな状況の私を心配しないはずがない。きっと天邪鬼なだけに違いないと思い、私はソファに横たわりながら、彼の気遣いを期待した。

いつもは私がやっている家事を、今はさすがに手伝ってくれるだろう、と、思ったのだ。

 

食事なんかを作ってくれるかもしれないし、もしかすると優しい言葉のひとつでも、かけてくれるかもしれない。

私は当たり前だという感覚で家事を放棄し、体を休めていた。

 

だけど彼は、一向に手伝う気配を見せない。部屋はどんどん散らかっていく。

そしてついには、「薬を飲みたいから水をとってほしい」という私に、こういった。

「なんでとらなきゃいけないの?病気を理由に、ずっと俺が負担を押し付けられるの?」

 

あっけにとられて固まる私に、

「しんどそうなふりをしないで、まずは自分の仕事である犬の掃除をしてよ。家事は貴女がするって、自分で言ったんだよね?部屋、汚いよ」と、吐き捨てた。

さすがの私も我慢が出来ず、自分の体がどれだけしんどいのかを訴え、「しんどい時だけで良いから手伝ってほしい」と伝えてはみるものの、彼は反対に、怒りさえ感じているようだった。

 

「あなたがしんどいとか、俺には分からない。俺の体じゃないから。

あなたの都合に振り回されたくない。自分の仕事は自分でして」と、譲らない。

 

悔しくて、思わず涙を流し、「私のことが大事じゃないの?」と、一番嫌いそうな質問を、彼に投げかけた。

 

「俺は君が大事だし、優しくしているつもり。毎日一緒にいるし、いろんなところに連れて行ってるよね?

だけど俺には、君のしんどさなんて分からない。どうしてそれを理解することを強要されなくちゃいけないの?」

 

もうダメだ、と思った。

悔しさと悲しさと怒りと苦しみでいっぱいになった私は、彼をひっぱたいていた。

言葉で伝わらないから手をあげるなんて、最低だと分かっていた。今まで、一度たりとも誰かを殴ったことなどない。

だけど、もうどうしようもなかった。

 

異常な程の趣味への没頭と、静かに湧き出した殺意

同じ頃彼は、異様なほどに釣りに熱中していた。

もともとひとつのことに打ち込むと歯止めがきかないのは分かっていたが、釣りへの熱中具合は、異常そのものだった。

 

寒い冬にも関わらず、雨が降っても嵐が来ても、私を連れて、釣りに向かう。15時間以上びしょ濡れになりながら竿を出し、釣れないと酷く、機嫌が悪くなった。

毎日のように釣りをして、釣り用品にも、多額のお金をつっこんでいるのが目に見えて分かった。

だけど、誰かから何かを学ぼうとはしない。

 

人の指示に従うのは嫌いなのだ。マイルールで釣り方を学んで没頭しては失敗を繰り返し、お金だけを湯水のように使いまくる。

幸い彼はお金を持っていたから、お金を使うことには問題がなかったが、問題は熱中しすぎて、釣りがうまくいかない時に癇癪を起こすことだった。一度機嫌が悪くなると、一緒にいった私が何を話かけても、無視をされる。

趣味のはずなのに、一度熱中すると、恐ろしいほどの集中力を見せた。

 

もう、必死に機嫌をとるのにも、疲れていた。

 

ある日、嵐の中で釣りをしているとき、彼の後ろ姿を見ながら、ふっと、思った。

 

(今突き落としたら、誰にもバレない)

白状しよう。私は彼に、殺意すら抱いていた。

 

「そこまで恨みを募らせるのなら、別れれば良いじゃない」と、思うかもしれない。

だけど愛というのは、そんなに簡単に枯れてはくれないのだ。

 

彼にも、良いところはたくさんあった。思い出もあった。

いつもは優しいのだ。なんの問題もなくじゃれ合ったり、笑い合って過ごしている。

 

優しい部分や、魅力的なところがあるから、彼を好きになったのだ。

 

だけど、愛が枯れないまま、それと同じくらい、憎しみが育っているのを感じていた。

 

愛しているから、許せなかった。

愛しているから苦しいし、憎かった。

 

離れたくはない。だけど、今のままの状況には耐えられない、話し合いもできない。

 

それならいっそ、殺してしまいたい。殺して、私も一緒に……。

 

雨が強くなり、かっぱから伝った雫が、首元に侵入してきた。

その冷たい温度で、はっとした。

私は何を考えているのだろう、何を考えていたのだろう。恐ろしくて、身震いした。

 

私がそんな気持ちであることになんて、勿論気がつかないまま、彼は釣りを続けていた。

 

「もしかして……」のきっかけ

その時だった。

もしかして、と、その障害名が頭に浮かんだのは。

 

これが、二人でやっていく、最後のチャンスかもしれないと思った。

 

後日、発熱を繰り返していた私は、彼に尋ねた。

「私の体調が悪い時に家事の手伝いをすることの、何が嫌なの?仕事が増えるのが嫌なの?」

 

恐る恐る聞く私に、彼はこういった。

「違う。君の都合によって日常が乱されるのがいやなんだ。『しんどい時に手伝え』なんて、全て君の都合じゃないか。どうして俺が君に合わせなきゃいけないの?そもそも、君がしんどいかどうかなんて、君にしか分からない。それに君は今、全然しんどそうじゃない」

「どのあたりがしんどそうに見えないの?」

「怪我をして血が出ていたら痛そうだと思う。でも君は血も出ていないし、笑ってる。笑っているのに『しんどい』というから混乱する」

彼は、私の表情と言葉が食い違っているのに、酷くストレスを覚えているようだった。

 

私はできるだけしんどそうに見えないようにと、彼を思って無理して楽しそうに過ごしていた。

だけど彼にはそれが、逆効果だったのだ。

 

「大丈夫だよ」と笑いながらトイレで吐いたり、食欲がなくなっていく私を見て、何が本当なのか混乱してしまう。

通常であれば表情や言葉、行動から複合的に判断し、相手の心を想像して「無理をしているんだな」と判断するのは容易に思えたが、彼にはそれが、難しいようだった。それに彼は、回りくどいのが嫌いだ。

 

「どうすれば家事を手伝ってもらえるかな?」

私は彼に、たずねた。

 

「状況に応じてという指示の出し方だと腹が立つ。それだと君に振り回されることになるから。それなら、期間を指定して、その間は全て俺の仕事だと言ってくれた方が、ずっと良い。『ここまでは倒れてでも私がやるから、そこから先は全てあなたに任せる』と言ってくれれば、理解ができるし腹も立たない」

彼は家事を手伝うことで負担が増えるのが嫌なのではなく、自分以外の誰かの都合によって、自分自身の生活に、頻繁にイレギュラーが起こるのが許せないのだ。

仕事量が増えることへの嫌悪感ではなく、ルーティーンを乱されることへの嫌悪感だ。

 

「分かった。私は今すごくしんどい。だから体が戻るまでの間、犬の世話以外の家事を全て貴方の仕事にしてほしい。犬の世話は、私の仕事のままで良い」

彼は笑顔で「勿論だよ」と、答えた。

 

「それ、アスペルガー症候群じゃない?」友人からのひとことに、私は確信した

「アスペルガー症候群じゃないの?」

精神科勤務時代の友人に、彼のことを打ち明けた時、第一声に言われた言葉だった。

 

「やっぱりそうだよね……。私もそんな気がしているの」

実は私も、彼がアスペルガー症候群ではないかと、疑っていた。

 

アスペルガー症候群とは、自閉症スペクトラム障がいとも言われ、先天性の発達障がいの一種だ。

(1) 他の人との社会的関係をもつこと

  • 相手の気持ちや意図を想像することが苦手で、その場にあった振る舞いができない
  • 自分が発した内容を、相手がどう感じるかを想像できず、率直すぎる発言をする
  • 「空気」や「しきたり」など、暗黙の了解を感じたり理解するのが苦手

(2) コミュニケーションをとること

  • 難しい言い回しや独特な言葉の使い方をするため、理解されにくい
  • 同じことを繰り返し話したり、納得できるまで言い続ける
  • 相手の声やトーン、身振り等を使った非言語的コミュニケーションを理解しにくい
  • 耳から入ってくる情報の処理が苦手。視覚的情報処理を好む

(3) 想像力と創造性

  • 決められた手順やスケジュール等に強くこだわる。
  • 新しい登場人物や状況、予想外の事態への臨機応変な対応が苦手
  • 物語の一部にこだわり、全体像を把握することが苦手
  • 興味の対象が狭く、深く追求するくせがある

アスペルガー症候群は、大きく分けてこの3つの分野に障害を持つことを医師に認められて、はじめて診断される。

 

「一度、話して見たら良いんじゃない?貴女のためにも、彼のためにも」

「でも、発達障害かもしれないよと言ったら、『俺がおかしいと言いたいのか』と、癇癪を起こすかもしれない。うつ病を甘えだという人よ?そのあたりに理解がある人には思えない」

「じゃあ、無理矢理認めさせて連れていけば良いのよ。心理テスト形式で質問してみたら?」

 

私は彼女のアドバイスを受けて、心理テストを作成し、彼に試してみることにした。

 

簡易テストの結果は、「重度のアスペルガー症候群」

「ねえ、ちょっと心理テストをしたいんだけど」

私は彼の機嫌が良い時を狙い、アスペルガー症候群のチェックリストを実施した。

 

「良いよ」と笑った彼に、説明をする。

「『あてはまる ややあてはまる あまりあてはまらない あてはまらない』で、答えてね」

 

結果から言えば、彼はチェックリストのほとんどに、「アスペルガー症候群の可能性がある」回答をした。

 

「これ、全部当てはまるんだけど何?ていうかこれ、全員yesじゃないの?」

不思議そうにする彼に、最後の問題を投げかける。

 

「この問題、答えてみてくれない?」

ある男の子は、明日が友達の誕生日だということに気づきました。

そこで彼は財布の中を確認しました。

けれども、お金が足りなかったので親にお小遣いをもらいにいきました。

彼はお小遣いをもらった後、急いで買い物にでかけました。

彼は何を買いにいったでしょう?

答えは勿論、「友人のプレゼント」だ。

 

この問題は、質問中の「彼」の気持ちを想像し、シンプルに考えれば、簡単に答えられるようになっている。

だけど彼は「こんな問題、分かるはずがない。意味が分からない」と言って30分ほど悩んだあと、真面目な顔で、「時計」と答えた。

 

 

(ああ、やっぱりそうなのかもしれない)

私は意を決して、彼に言った。

 

「あのね、これらは全て、アスペルガー症候群という発達障がいのテストなの。

私はあなたに、その可能性があると思ってる。できたら、病院に行って診断を受けてほしい」

 

「貴方はアスペルガーかもしれないよ」彼の反応は

「貴方はアスペルガー症候群かもしれない」

その言葉への反応は、意外なものだった。

 

「へえ、そうなんだ。え?じゃあ今のって、みんな違う回答をするの?」

「そうだね。人によるし、私は医師ではないからはっきりと診断はできないの」

「そうなんだ。でも、何回か言われたことがあるよ。もしかしたらそうなのかもな」

 

思ったよりも理解を示した彼に希望を感じた私は、こういった。

「じゃあ、病院にいってくれる?診断を受けたり、カウンセリングを受けてみてほしいの。貴方自身も苦労する頻度が減ると思うから」

 

「え?なんで?嫌だよ。だって俺、何も困ってないし」

キョトンとする彼に、固まる私。

 

「いや、困ってないって……。事実心当たりがあったんだよね?人との付き合いがしづらいとか、それで大切な人を傷つけたり、離れていってしまうようなこともあるかもしれないし……」

「それはそいつの問題じゃん。離れたい奴は離れたら良いし、一緒にいたいなら、全員俺に合わせれば良いんだよ。なんで俺が変わらなきゃいけないの?謎」

 

お前が謎だわ!

と思いながらも、私は彼がアスペルガー症候群であるかもしれないという可能性のことを考えて、病院への促し方を、変えてみることにした。

 

「私、貴方がアスペルガー症候群だとしたら、これまでのことを全て記事に書こうと思ってるの。それって凄く、意味のあることだと思わない?もしかしたら何か、利益にも繋がるかも。だから、病院を受診してほしい」

人の気持ちが理解できないのなら、直接の利害関係に結びつけて訴えてみれば良いと思った。そして指示は、明確にはっきりと……。一か八かだと思いながらそういった私に、彼は頷いた。

 

「ああ、それは面白いね。良いよ。病院にいけば良いの?」

それからわずか一週間後、彼は発達障がい外来を受診した。

 

診断結果は、やっぱりアスペルガー症候群

「アスペルガー症候群だってよ」

後日診断を受けた彼は、とくに落ち込む様子もなく、そう言った。

 

それを聞いた私は、誤解を恐れずに言うのであれば、深く安堵していた。

これで彼と上手くやっていける可能性がある、と思ったのだ。

 

彼は相変わらず、カウンセリング等は受けないの一点張りだった。

だけど、それでも良いと思った。

 

彼がどうして私を理解してくれないのか。

どうして泣いている私に、共感できないのか。

 

「分からない」というのは、一番辛いことだ。

 

もしかすると、私を愛していないからなのかもしれないとか、

そもそも私がおかしいのかもしれないとか、彼の性格に致命的な欠点があるのかもしれないとか。

そういう、根本的な「かもしれない」の可能性だって、出て来る。

 

もしもそうだとしたら、私達はもう、終わりにするしかないのだ。

 

だから、私は悩んでいた。

分かってくれない彼に分からせようとして、何度も何度も同じような方法で訴えかけ、伝わらず、苦しんでいた。

 

だけど、診断を受けてもらうことで、彼の言動の意味が分かったのだ。

「どうして?」の、答えが出たのだ。

 

どうして、彼に私の気持ちが伝わらないのか。

彼が自己中心的だからか、人の心を持っていないからか、優しくないからか、愛されていないからか。

違う。彼はアスペルガー症候群だった。

 

だから共感するのが苦手で、曖昧な会話が嫌いで、スケジュールを乱されるのに、我慢ができなかったのだ。

 

「どうして分からないの?って言って、ごめんね」

私は彼に、謝った。ここから先は、私が彼に理解を示さなければならない。

 

「やっぱり俺は、謝る必要なんてなかったんだね」そう言って笑う彼に、ため息をつく。

 

「共感できない」彼に共感して生きていくこと、

それが、私達が二人で生きていく、唯一の方法だった。

 

貴方の身近な人が「アスペルガー症候群だったら」

「あなたの恋人(家族)は、アスペルガー症候群です」

ある日突然告げられるその言葉。

 

私達は彼らの家族や恋人として、彼らに寄り添うことを求められる。

彼らは他者の気持ちに共感するのが苦手です。理解してください。

彼らは空気を読みづらいです。ひどい言葉を言われても、理解してください。

だって、彼らは発達障害だから。それは障害が引き起こすもので、彼らが悪いのではありません。

そして、それらは「病気」ではなく、「個性」です。

 

あなた達が寄り添わなければならない。

理解して、尊重して、良いところを伸ばしてください。

彼らを否定してはなりません。接し方を考えてください。

寄り添えない?あなた、本当にその人を、愛していますか?

理解ができない?なんて心が狭いのでしょう。

 

もっと理解してあげなくちゃ。もっと寄り添ってあげなくちゃ。

彼らは貴女に心を開いているから、ありのままでいられるのです。

 

さあ、理解してあげて。

だって彼らは、悪くないから。

だってあなたは、彼らの恋人(家族)だから。

 

 

カサンドラ症候群、というものがある。

カサンドラ症候群(-しょうこうぐん、Cassandra Affective Disorder)、カサンドラ情動剥奪障害(-じょうどうはくだつしょうがい、Cassandra Affective Deprivation Disorder)」とは、アスペルガー症候群(AS)[注釈 1]の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である[1]。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じる[2]という仮説である。

引用 (wiki pedia)

事実私は、彼との関係の中で自信を失い、心身ともに、疲労困憊した。

共感してもらえないのには、想像を絶する苦しさがあるのだ。

 

愛する人に言葉が通じないという状況は、心を切り刻み、自尊心を傷つける。

「これは彼が悪いのではなく、アスペルガー症候群というものが引き起こす出来事だ」

と思おうとしても、なかなか心が追いつかない。

 

食欲不振は勿論、「死にたい」とか「死んでほしい」とか、病的に近い情緒の不安定さを覚えることもあった。

 

ネットを開けば、「障がいではなく個性だ」とか「周囲が理解を」とか、当事者たちの意見で溢れかえっている。

まるで受け入れられないと悩む私の心が狭いのだと、責められている気がした。

 

もちろん、それらの意見も間違えてはいない。

むしろ私はこの状況に陥るまで、そういった言葉達を発信してきた立場だった。

 

どうして理解を示せない人がいるのだろう?と、疑問さえ抱えていた。

周囲の人間が我慢をすべきだ、もっと寛容な心で受け入れるべきだ、と、考えていた。

 

だけど……。今だからこそ言える。

受け入れる側だって、すっごくすっごく、辛いのだ。

 

だから、声を大にして言いたい。

アスペルガー症候群のパートナーや家族を持つ私達は「辛い」と声をあげても良い。

 

もっと言うのなら、「受け入れられない」と、逃げ出したって良い。

私達が最も大切にすべきなのは自分自身であり、守らなければならないのは、自分の心だからだ。

 

辛いという気持ちを押し込めるのではなく、発信する。

彼らの声を無視すべきではないのと同じくらい、私達の言葉も、無視されるべきではないのだ。

 

私と彼のその後と、考え方

さて、私と彼がどうなったかって?

今も仲良く、一緒に過ごしている。

 

前と少し違うのは、彼の扱い方がちょっとうまくなったところと、

「辛い」や「苦しい」を、周囲に訴えられるようになったこと。

 

私は彼と、生きる道を選んだ。

彼に寄り添うことを選んだ。

 

そして、もうひとつ、決めたことがある。

寄り添う、理解もする。だけど、我慢はしない。

 

自分の気持ちも無視せず、彼の心にも寄り添いながら。

私達は私達なりの答えを、見つけていこうと思う。

それはとっても難しいことだけど、

私は彼を、彼は私を、ちゃんと愛しているから。

 

アスペルガー症候群のパートナーを持つ全ての方に伝えたい。

貴方の「辛い」は間違えていない。貴方の心は、決して狭くなんかない。

貴方の心を理解している人間がここにもいるということを、決して忘れないでほしい。

 

そして貴方にも、

寄り添う、理解もする。だけど、我慢はしない。

という言葉を送りたい。

誰がなんと言おうと、一番大切なのは、貴方自身なのである。

 

yuzuka

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yuzuka

作家、コラムニスト。元精神科、美容整形外科の看護師で、風俗嬢の経験もある。実体験や、それで得た知識をもとに綴るtwitterやnoteが話題を呼び、多数メディアにコラムを寄稿したのち、peek a booを立ち上げる。ズボラで絵が下手。Twitterでは時々毒を吐き、ぷち炎上する。美人に弱い。

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