考え方

性の悦びおじさんを笑った人へ

「性の悦びおじさんが死んだ」

その書き込みを見た時、得体の知れない胸騒ぎが「形になった」気がした。

私が最初に彼を知ったのは、彼を知る殆どの群衆と例外ではない「Twitter」での拡散動画を見たのがキッカケだった。

 

タイムラインにリツイートされてきたその動画を再生して、悲しくなったことを覚えている。

 

「こんなものを平気で拡散する人がいるのか…」

これはなにも、彼の動画が初めてではない。

今までも数多くの「一般人の奇行」を盗撮した動画が、不特定多数の人に拡散され、ネット界を独り歩きしてきたのだ。私はそんな動画を見る度に、心が痛んだ。

 

あの動画を「撮った」人がいる。ネットに流出した動画を見て「笑った」人がいる。

そしてそんな彼をまた、他人に「見せようとする」人がいる。

 

彼らの動画を見て、もしくは彼らの実際の姿を見て、本当に何も思わないだろうか?

乗客が多数いる車内で、大声を出す。道を歩きながら突然話し出したり、笑ったりする。見ず知らずの人に話しかけて、厭らしい言葉で不快にさせる。

 

そんな彼を「ただの面白いおじさん」だと本気で思っている人がいるのだとしたら、この記事を閉じてもらっても構わない。

でも、きっとそんな人は極少数だ。きっとみんな、分かっているはずなのだ。

 

「精神障がいか、発達障がいなのでは?」

そう、「彼はきっと病気だ」その可能性を、充分に理解していながら、晒し者にしているのだ。

 

電車の中で、街の中で、Twitterのタイムラインで。彼のような人物を見かける度に、精神科で働いていた時に接していた患者さんと重ねる。

 

そして思う。

どうして彼はこんな所にいるのだ?帰る場所はあるのだろうか。見守ってくれる誰かはいるのだろうか?

 

皆さんは、精神科に入院している患者さんの入院のきっかけと聞いた時、どんなことを思い浮かべるだろうか?

「心が病んでいて自分で受診した」

「心配した家族に連れられて受診した」

確かに、そのケースもある。だけどもっと多くの割合を占めるのは「取り返しのつかない何かをやらかしたから」だ。

 

自殺未遂、警察に捕まるレベルの奇行、盗み、傷害、殺人未遂、殺人。

彼らは「取り返しのつかない」ことをして、自分や他人を傷つけた後、病院に運ばれてくる。(もちろんそれが全てではない)

 

そしてそこで初めて診断を受け、措置入院という流れを辿るのだ。

そして殆どの人はその後、一生と言っても過言ではない「長期入院」となったり、もしも退院しても、入退院を繰り返すこととなる。

 

成人してからそのケースを辿る人は、「突然おかしくなった」訳ではないことが殆どだ。

 

「あれ?この子、おかしいのかもしれない」

何度もあったそのシグナルを、ことごとくスルーされて、大人になっている。

 

一番近くにいる親は「うちの子に限って、病気だなんて」と見て見ぬふりをして、唯一無条件に接する「プロ」であるはずの教育現場の大人達ですら、「病気だなんて言ったら反感をかうかもしれない」と、これまたスルーをする。

彼らは「おかしいかもしれない」を見て見ぬふりされ続け、大人になって、一人になる。

 

逸脱した行動を咎められ、出来ないことを責められ。

「普通」を要求され、苦しむ。多くの人は社会に馴染めず、孤立する。そして「とりかえしのつかないこと」を起こすケースが、後を絶たないのだ。

 

私は憤っている。そんな「彼ら」を目にしながらも、にやつき、嘲笑いながら、悪意の前に晒し者にするお前らを。

手を伸ばそうともせず、よってたかって「イジメ」に手を染めるお前らを。

 

彼が笑っているのを、「喜んでいる」と感じたか?話しかけても威嚇してこなかったことを「手懐けた」とでも捉えたか?だから「悪いことではない」とでも取り違えたの?

そんなことを思っているのなら、大間違いだ。

 

彼らは「分かっていない」だけなのだ。お前達の心に渦巻くその汚い感情に。

彼らは珍獣や玩具じゃない。一人の人間だ。

 

ネット社会は素人の集まりだ。何も分からない人が、ただの興味でこの「イジメ」に加担してきたのには、悲しいけれど頷ける。

しかし、最近はどうだろう。「モラル」が守られるはずの「テレビ」ですら、そんな「イジメ」を簡単に煽っている現状。明らかに「少しおかしいな」と思う人にインタビューをして、面白がって放送する。

ネットで話題になった「盗撮動画」に写っていた彼らを取材し、「ネタ」にする。「面白いでしょう」と提供し、そのあとはほったらかし。

 

彼が「少しおかしい」ことも、この後晒される「好奇の目」もしらんぷり。

なんのリスクもおわずに、利用した後は使い捨てのごとく見て見ぬふりを決め込むのだ。

 

「性の悦びおじさん」が死んだのか、生きているのか。私には分からない。

しかしあの報道が出た時「車内で逆上して乗客に殴りかかる」そして「押さえつけられた後、殺される」彼を容易に想像出来たからこそ、誰もが「死んだのは彼かもしれない」と思ったのではないだろうか?

 

だとすれば、彼が「逆上する」可能性も、事件に巻き込まれることも、なんとなく予想しながら、彼を晒し者にしてきたことになる。

 

彼らの「スイッチ」はどこにあるか分からない。精神的に病んでいたり、発達しきっていない心を持ち合わせている可能性が高いからだ。

私達が想像できないようなことで怒りや悲しみが、突然沸点に達する可能性がある。

 

精神科でプロとして働いていた私ですら、いつも接していない「現在の状態がわからない」精神疾患を持つ人に安易に近づくことは、恐ろしい。

優しくて人当たりの良い患者さんが過去には人を撲殺していたり、さっきまで手を繋いで散歩していた患者さんが、突然殴りかかってくるなんてのも、日常茶飯事だからだ。

 

診断を受け、医師が管理して、現状が分かっている「患者さん」ですら予測不可能な行動を起こす。

そんな中、それすらも分からない、でも「病気の可能性がある」行動をとる彼らを「おもちゃ」にすることが危険なのは、誰にでも想像がつくはずだ。

 

この記事を読んで「病気だと決めつけるのは失礼じゃないか」「精神疾患を持つ人への差別だ」と思う人がいるのなら、声を大にして言いたい。

病気の可能性を指摘することは、差別でもなんでもない。正しい段階を踏めば、彼らを助ける手立てにすらなる。

 

一番の差別は、そんな彼らを面白おかしく悪意の中に晒し上げ、嘲笑いながら話のタネにすることだ。

それはイジメだ。それは差別だ。それは人権侵害だ。そしてそこから起こる全ての事件は、晒し上げた「全員の責任」だ。

 

では、街で「彼ら」を見かけたら、話しかけられたら、どうするのが正解なのだろうか?

これが、今の社会の課題だと思っている。今の日本には数多くの「彼ら」が存在するのにも関わらず、それに対応する窓口が、極端に狭い。

 

もしも彼らが実際に誰かに危害を加えていたり、加えそうであったり、あるいは自分自身を傷つけようとしている場合は、迷わず「警察」に通報で良い。

 

というのも、「精神疾患により自傷他害のある、またはその恐れのある場合」は、警察へ通報して措置入院させることができるからだ。

また、もうひとつのケースとして、近所の住民や知人に「精神疾患の疑いがある人」がいた場合は、「保健所」に相談すると良い。

 

精神保健福祉法第22条には、「精神障がい又はその疑いのある者を知った者は、誰でも、その者について指定医の診察及び必要な保護を都道府県知事に申請することができる」とあり、第三者が通報する制度がある。
保健所が関わることで保健師が介入し、今後の対応がスムーズとなる。

 

ただし、保健所を動かすには「通報者の個人情報」と、「本人の個人情報」が必要であり、街で見かけた人物に対してそれらの情報を集めることは不可能に近く、機能していない。

こうしてまとめてみると、警察、保健所ともに「実際に危害を加えていない」限り、本人や家族の意思以外で介入することが難しいという現状があるのが悲しい。

 

その殆どの理由は「人権侵害にあたる可能性があるから」らしい。

 

私事だが、精神科の勤務を経て、最終的に保育園での看護師業務に当たっていたのは、そんな人達に、いち早く気づいて対応をしていける場所が「保育園」だと思ったからだ。

 

保育園でも「差別だと思われることへの警戒」の壁は厚く、疑いを見つけても、保護者へのアドバイスがしづらいという現状があった。

(これは子どもの年齢によって発達障害だと疑うべきでないタイミングがあったり、保護者が発達障害への受け入れが難しい段階があったり、そういったものを考慮して、というのもあるが)

 

それでも私は何度も勉強会を開き、悪者になってでも、疑いが強い場合はどうにかして話し合いを設けるようにと促してきた。

ここでスルーすれば、この子の人生は悲しいものになるかもしれない、と思っていたからだ。

 

その子を見守る体制を、早い段階で整える。社会に放り出されて1人きりにさせないためには、必要なことだった。

「性の悦びおじさん」の件を受け、私が皆さんに伝えたいことは、この記事に詰まっている。

 

まずは「街中で暴れる人」を作り出して欲しくない。

身近に「おかしいな?」と思う人がいたのなら、目を逸らさず、手を差し伸べて欲しい。

 

手を差し伸べると言っても、直接「あなたは病気かもしれません」と言うのではない。公的機関に相談する、通報するでも良い。

できるだけ早い段階で、その人に寄り添う「プロ」の手を提供してあげてほしい。

 

そしてもうひとつ。

その対応も出来ないのであれば、せめて「彼らを悪意の中に晒しあげる」という行為だけはよして欲しい。

 

それは、彼らを守るためでもあり、貴方を守るためでもある。何かが起きてからでは、遅いのだ。

「病気だと指摘することは差別だ」と批判する人に伝えたい。

 

最も恐ろしい差別は、その重大な部分から目を逸らし、彼らを遊び道具にすることだ。

手を下さなくても、人を殺しても良い理由にはならない。

 

この記事を読み「悪意のないイジメ」から救われる人がいることを、深く祈る。

 

yuzuka

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yuzuka

作家、コラムニスト。元精神科、美容整形外科の看護師で、風俗嬢の経験もある。実体験や、それで得た知識をもとに綴るtwitterやnoteが話題を呼び、多数メディアにコラムを寄稿したのち、peek a booを立ち上げる。ズボラで絵が下手。Twitterでは時々毒を吐き、ぷち炎上する。美人に弱い。

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