【個人情報保護の観点から、特定に繋がるような情報にはフェイクを織り交ぜています。ご了承ください】
先日askに、こんな質問が寄せられた。
この質問は、私が今まで幾度となく繰り返してきた「自問自答」を投げかけられたものだった。
この問いと向き合うことになったのは、自分が勤めていた病院(精神科)の電子カルテを見て、後輩看護師と討論になったのがきっかけだ。
ある日の深夜勤中、ひとつ下の階に入院している「ある患者さん」の話が持ち上がる。
「あの人、ずっと隔離にいたでしょう。今日、数年ぶりに隔離を解除したら、受け持ち看護師の鼻を思いっきり殴って、骨折ですって。もちろんまた隔離。もう一生出られないですよね」
鼻息を荒くしながら語る後輩看護師の話にテキトウに頷きながら、私は「あの人」のカルテを開いた。
電子カルテは、病院内全体の患者さんの情報を閲覧することが可能だ。
名前や病棟を打ち込めば、その患者さんの既往歴(今までの病気の情報)や、薬の処方履歴、医師の診察記録、看護師が記入した、毎日の記録等が表示される。
「あの人」の最新情報の欄には、医師が記入した「隔離の指示」があった。
精神科には「開放病棟」と「閉鎖病棟」があり、患者さんの状態によってそれぞれが振り分けられるが、そのどちらにも適応できないレベルで危険であり、自分や他人を傷つける恐れが高いと判断された場合に指示が出るのが、この「隔離(保護)」もしくは「拘束」だ。
隔離室(保護室)の柵は、ウェーブしていたり、特殊な素材にしてあることがある。
これは、ただの柵だと、患者さんが力でねじ曲げてしまう場合があるからだ。
自殺に使えるような布や紐、それらが引っ掛けられる場所は徹底的に無くし、トイレには鍵はおろか、扉すらついていない。
監視カメラが設置されているし、それと同時に30分~一時間に1度以上は看護師による見回りがある。
通常「隔離」や「拘束」は、その人の自由を奪うということにも繋がるため、できるだけ早く解除することが鉄則である。
とくに「拘束」については、恐らくどの病院でも「拘束ゼロ運動」とやらが取り上げられ、委員会も設立されているはずだ。
しかし、後輩が怒りを顕にしている「あの人」は、この隔離室から、何年も出られていない。
私は電子カルテをスクロールし、入院した日の診察記録をクリックした。
「あなたは、あの日のことを後悔していますか?」「もしもあの日に戻れたら、同じことを繰り返しますか?」
医師の問いかけへの返答と、その時の挙動が記録されている。
「後悔していません。同じことを、何度だって繰り返します」
「あの人」は、医師をまっすぐと見て、笑ったという。
彼はこの「隔離室」に入ることになった今から数年前、連続殺傷事件を起こしている。
当時は地元のニュースにも取り上げられ、近所の住民は恐怖に震えたそうだ。
か弱い女性ばかりを狙って、ダガーナイフで脇腹を狙った。
刺した理由は「神様からのお告げを聞いたから」
彼女たちを刺殺さないと、世界は滅亡する。
そんな言葉が、毎晩彼の脳内に、届けられたという。
彼は警察に捕まり、後に「統合失調症」という病名をつけられる。
裁判の結果「心神喪失。責任能力が認められず、無罪」となり、私の勤めていた病院へ入院することとなった。
何も、こんなケースで入院してくる患者さんが珍しいわけではない。
過去に新聞に掲載されるような殺人事件を起こした人や、家族に毒物を飲ませようとした人、近所の家を放火しようと火を放った人。
そんな人はありふれるほど、存在している。
「精神疾患だからって無罪だなんてありえない。罪は償うべきです。それに、やっと出てきたのにまた暴力を奮うなんて…」
後輩は私の方を見て、憤りを伝える。
「そうだね…」
私は、精神科看護師としてデビューしたばかりのこの後輩に、どうしたら自分の気持ちが伝わるのか、頭を悩ませていた。
結論から言おう。
私は、「精神疾患をもつ犯人」に「家族」が殺された場合、きっと許せないと思う。
それは「心」の問題だ。
どんな理由があろうと、愛している人の命が誰かに奪われた時、人はその奪った対象を酷く恨むと思う。
その相手が「反省なんてしない」と言おうものなら、腸は煮えくり返り、殴りかかりたくもなるかもしれない。
今まで「精神疾患からくる症状による心神喪失で、責任能力はなし」と判断された事件を見る度に、何度も何度も考えてきた。
私は許せるのだろうか。いや、許せないだろう。殺された方、その遺族のことを思うと苦しい。腹立たしい。私がその立場なら……
だけどそれは、あくまで「心」の問題だ。
私は「心」で許せなくても、「頭」では理解する。もしも「精神疾患」の症状が原因であり、その結果「無罪だ」と専門家が判断したのであれば、私は納得するし、「罪はない」と判断するし、犯人にとってもらう責任はないと考える。
もしその状況に陥ったとしたら、私の家族を殺したのはその「犯人」ではなく、「病気」だからだ。
立場を置き換えて、想像してみて欲しい。
貴方がもし、仕事の同僚(A氏とする)に、毎日脅されているとする。彼は仕事に行くたびに近寄ってきて、あなたの耳元で囁く。
「お前の奥さんと子どもを殺そうと思うんだ」
最初は何かの冗談かと思っていたが、なんだか様子がおかしい。遂にはわけのわからない最新の機械を使い、貴方の体に「暴力」を加えるようになる。
周りがいない時にやってきて、電磁波を浴びせるのだ。その度に貴方の体には激痛が走り、身動きがとれなくなる。
終いには、自宅の近くをウロウロとするA氏を見つけて、恐怖に陥る。
その次の日には玄関のドアをガチャガチャとやり、鍵を開けない貴方に、また例の電磁波を浴びせてきた。
「お前の奥さん、太ももにホクロがあるんだな」
ある日、勤務先で近づいてきたA氏は、貴方の奥さんの裸を知らないと分からないような情報を呟いた。
「どういうことだ!あいつに何をした!」
逆上するあなたに、A氏はいう。
「何って。ちょっと脅してイタズラしただけだよ。俺はいつでもお前達を殺せることを忘れるな」
貴方は会社の上司の元へ駆け出し、今までのA氏の言動を突きつけるが「気のせいだろう」と取り合わない。妻に電話をかけるも「そんなことはされていない」と、しらをきる。
警察に電話しても、無駄に尋問を受けてまともに向き合ってはくれない……
「耐えられない…このままでは妻が殺される」
カッと頭に血が登ったと思ったが、そこからは覚えていない。
気づくとあなたの目の前には、A氏が痛み、のたうち回る姿。刺した記憶はない。しかし、手にはナイフが握られていた。
これに似たケースで人を刺し、入院してきた患者さんが、実際に存在する。
皆さんの想像通り「A氏」からの嫌がらせは全て妄想であり、事実無根だ。
しかし、彼にとってこれは紛れもない事実であり、「実際に目で見て、耳で聞き、感じたこと」なのだ。
統合失調症の主症状である「妄想」は、恐らくみなさんの想像を遥かに超えている。
思い込みだとか、そんなものに支配されるなとか、そんな軽いものではない。
自分の出した便を「美味しい健康食品だ」といって、食べる人がいる。
「毛を抜き、爪を剥がさないと、全身に放射能を浴びせられるんです」と、自分の体中の毛や爪を剥ぎ取り続ける人がいる。
「妄想」は彼らの脳内を直接支配し、全てを「事実」に感じさせてしまうのだ。
幻覚妄想状態で何かを起こした場合、その行為主体は人ではないのです。統合失調症の人が症状に左右されて起こしたことは、例えば糖尿病の人が低血糖で倒れて人を押し倒して怪我をさせてしまったり、運転中に脳出血になって意識がなくなって人を轢いてしまったり、ということと同じことです。これらは病気やその症状が事件を起こしたのであって病気にかかった人が起こしたわけではありません。統合失調症の幻覚妄想が悪くなるとその人のコントロールは全く効かなくなることがあります。その下で起こした犯罪はその人の罪ではありません。もちろん、個々の事件で被告がどれだけ病気に支配されていたかを裁判で議論するのはとても必要なことです。
精神科医の方が書かれた記事で、非常に解りやすくまとめられています。
「どうしてこの物件、こんなに安いんですか?」
精神科を退職して上京する時、物件を探そうと立ち寄った不動産屋で、不思議なことがあった。
駅から徒歩数分で、間取りも悪くないはずなのに、他の物件よりも家賃がやけに安いのだ。
「あぁ、その建物の近く、大きな精神病院があるんですよね。嫌ですよね」
担当した若い営業の男の子は、肩を竦めた。
「病院が近くにあるって、むしろアピールポイントだと思っていました」と答える私に、彼は苦笑いした。
「普通の病院だったら、もちろんアピールポイントですよ。でも精神科って、人殺しとか、病んだ人とかいっぱいいるでしょう?刑務所みたいなもんで。危険だからって、みんな嫌がるんですよね」
私はその時、思い出していた。
私が勤めていた病院が設立する時も、地元住民の大きな反対運動と、それに伴う嫌がらせがあったらしい。
「精神科に通う患者」への偏見や差別は、根強いのだと改めて痛感した。
私は、私が接してきた患者さん全てを愛していたし、今も愛している。
過去に人に迷惑をかけていようと、殺人をしていようと、例外なく愛している。
精神科に入院している患者さんの多くは、孤独だ。(全てではない)
家族とは連絡がつかず、何年も面会に来ない人もたくさんいる。
亡くなる直前に連絡がついたと思ったら「火葬場まで全てそちらで手配してください。そちらに預けている本人のお金の手続きには、死体の処理が済んでから行きます」と、一方的に電話を切られたこともある。
彼ら彼女らの中には、過去に「取り返しのつかない」ことをするまで病気に気づかれず、周囲の人間に忌み嫌われて生涯を終える人が、数多く存在するのだ。
「精神疾患の症状が原因で責任能力を認められない場合、人を殺しても無罪になる」
この事実を、「当たり前のこと」だと「しかたのないこと」だと理解してくれと言っても難しいのは分かる。
しかし、その「犯罪」を起こしたのは彼らはではなく、「病気」なのだ。
恨むのであれば、「病気」を恨むべきだ。
このような事件の裁かれ方に、様々な意見が飛び交うのは分かる。
人の死が関わることは、簡単に「そうなんだ」で納得出来ることではない。
その中で今、私たちにできることを考える。
被害を受けた誰かのために、今も苦しんでいるであろうその家族のために、
そして、精神疾患に侵された全ての人のために。
この世の中に精神疾患がもっともっと認知され、理解が深まり、「精神科」への敷居が低くなり、最善の治療を受けられる人が増えたら……。
きっと痛ましい事件が起こる確率は、ぐっと低くなるはずだ。
事件に巻き込まれる人を作らないために。事件を起こす人を作り出さないために。私たちはもっと向き合い、考えなくてはならない。
貴方の愛する人を殺した犯人が、精神疾患による症状を理由に無罪になったら…
あなたはどう考えますか?
yuzuka
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