涼しいを通りこして、いよいよ寒くなってきましたね。
冬布団を出すのがめんどくさくて薄い夏布団にタオルケットを2枚重ねて寝ています。
朝起きると、全部がよれて縄のようになっています。どうもサマー(@summe51r)です。
平手友梨奈さん主演の「響 –HIBIKI-」を観てきました。
柳本光晴さんのコミック「響~小説家になる方法~」を原作にした、とてつもない文才を持った女子高生、鮎喰響と彼女が書いた小説をめぐる波乱を描いた映画です。
私、集合体恐怖症の気があって、同じような格好で集まって同じような動きをしている一定数以上の人を見るのが苦手なんですよ。
が、それにもかかわらず集団で踊っている制服の女の子のコマーシャルを見て、「これ誰だろ!」と気になって検索までしたことがあって、そのコマーシャルが確かバイトルのもので、その気になった女の子こそが当時「サイレントマジョリティー」のセンターを務めていた欅坂46の平手友梨奈さんその人だったんです。
アイドルなのに、顔面のほとんどが前髪で隠れているという衝撃。
何かに対して切実に反抗しているようなアティチュードに「いいな!」と思いました。
実際に欅坂46のシングルのセンターを7作連続で務め、グループ全体の方向性さえ左右する存在感はカリスマティックで、この年齢でここまで強く自分のスタイルを持って、表現ができるというのはとてつもない才能だなと思います。
そんなわけで観たかったんです、この映画。
はい、今週は「響 –HIBIKI-」です。
はりきってどうぞ!
目次
たったひとりのアイドルのカリスマ性をとても上手に料理した映画
Ⓒ2018映画「響 -HIBIKI-」製作委員会 Ⓒ柳本光晴/小学館
平手友梨奈さんはこれが映画初出演にして初主演。
さらに原作者の柳本さんと映画を監督した月川翔さん、制作の要のふたりから「響は彼女しかいない」と決め打ちされて出演が決まったそう。
つまり、まさに響というキャラクターと平手さんのカリスマ性のフュージョン一本で映画を引っ張る覚悟と腹づもりこそがこの映画の肝。
その姿勢は本編の内容からプロモーションまで徹底されており、それがちゃんとひとつひとつ成功していて、その振り切り具合にはある意味清々しささえ感じることができました。頭がいいやり方をされているな、と感じる点が多かったです。
私は何百人、何千人という多数の人間がいくら束になったとしても、その作業が没個性し、流れ作業になった時点で、たったひとりの人間のカリスマ性に圧倒的に凌駕されてしまうということを疑わないので、平手さんの才能をどこまでも信じて、そこ一点突破で映画を作るという方向性はこの映画の大きな魅力になっていたと思います。
必見のアドリブシーン
本編を通しても始終、平手さんの表現力、演技力、主人公性、読解力が飛び抜けていることはひしひしと感じられました。
彼女がシナリオや演技について意見を出していて、その結果追加されることになったという動物園のシーンは、全く演技をしているように見えないナチュラルさが、素の女子高生として響の側面を演出し、映画に奥行きを持たせるエッセンスになっていました。
また、私の一番のお気に入りだったのが、響が北村有起哉さん演じる鬼島に、とあるどぎついクエスチョンを投げかけたあとのシーン。
そこで、公式ホームページによると、平手さんのアドリブであるという一瞬の響のリアクションがあるんですが、そのリアクションにはとても驚かされました。バランス感覚いいな〜と思って。あれは超反応! 良かった!
これから観る方はぜひ注意して観てみてください。
あ、あと平手さん以外で、柳楽優弥さん演じる作家、田中康平の存在がかなり良かったです。是枝裕和監督の「誰も知らない」でカンヌ男優賞を受賞した当時13歳の柳楽さんが今や、なんとも渋い俳優さんになられましたよね。なぜか感慨深いです。嫌な奴演技に旨味がありました。
小説についての描写は不要か?
さて、ここからは納得がいかなかった点について。
実は私、原作のコミックが2017年度のマンガ大賞を獲っているのを知って、 1巻だけ読んだことがあるんですが、1巻で読むのをやめた理由と、映画の納得がいかなかった点が全く同じでした。
それは、響を絶対的存在たらしめる一番大切な要素であるはずの小説についての描写の貧しさ。
表現者を主人公にし、表現することをテーマにした漫画や映画や小説は世の中に数多くあって、やっぱり 作品や表現を生み出そうとするその過程にはドラマがあります。
そうした「表現すること」を描いた作品のひとつであるはずの「響 –HIBIKI-」には致命的とさえいえる欠陥だったと思います。
コミックではもう少しは出てくるらしいのですが、映画では小説の内容が1ミリも出てこない。知り得た情報はタイトルと、自身も小説家志望である新人賞候補作の下読み担当者の評くらいなもので、登場人物もストーリーも、一文一句さえも出てこない。
みんな「凄い凄い!」と褒めたたえているけど、何をもってそんなに凄いのか、片鱗さえ掴めなかったです。
たぶん観た人それぞれが想像すればいいということなんだと思います。
そして、「圧倒的におもしろい小説」と言われた時、その定義なんて人それぞれまったく違って、響が書いた小説はその全ての定義にさえ有無を言わさないパワフルさがあったんだっていうことを言いたいのは理解しましたよ。
だけど、どこがどういう風に凄いのか、下読み担当者がちらっと言った「時制の観念をめちゃくちゃにされた」以外、誰も何も言わないから、まったく現実味がなかったし、想像しようがなくて、むしろあんまりいいイメージが湧いてこなくて、これはもう「え〜、ホントにそんなすごい小説なのぉ〜」ってなってもしょうがない状況ですよ。
で、響に「読んでから言いなさいよ」って言われるっていうね(言われたい)。
だから読ませろよ!
でもまあ、それは私が本に思い入れがあって、自分のおもしろい小説の定義を強く持っているからっていうのもあるかもしれないです。
「のだめカンタービレ」(コミック、テレビドラマ)のオーケストラやピアノ演奏、「BLUE GIANT」、「BLUE GIANT SUPREME」(コミック)のジャズ、サックス演奏の描写なんかは、きちんとどんなところが凄くて、どんなところに才能を感じさせられるのかが描かれていたと私には感じられますが、それは私がピアノやサックスに造詣がないからなのかもしれません。
や、しかし、響が海で砂に埋まって読んでいたのはマイベスト5に入る小説だったので、私と響の好みはある程度合うはずなのは間違いないと思います。
響の暴力はコメディとして観た方がいい
全編を通して、響の行動に、「お前いくらなんでもそれはないだろ!」と思ったところが正直3、4箇所くらいはありました。
後半、あまりの暴力(フィジカル的な意味と理不尽の両方の意味)にけっこう引いてしまった自分がいたんですが、最後の最後になって、ちょっと気づきました。
あ、これ真剣に受けとめてたらダメなんだわ、と。
私が真面目すぎたみたいです。
響の眼差しの真摯さや、彼女の怒りの理由に筋が通っていたことなんかで、私自身もかなり真正面から観てしまっていたんですが、要所要所はコメディとして受けとめるのが正解ですね。
最後になって気づいてしまったので、もったいないことに特にクライマックスなんか、もしかすると笑うべきところだったのかもしれないところで、けっこう「おい!」ってなってしまっていた気がしますが、観終わってから、常軌を逸した場面に関しては「ジム・キャリーはMr.ダマー」なみのナンセンスコメディだったと思って振り返れば、イラっとすることもありません。スイッチのオンオフ多くてかなり大変だけど。
とはいえ、なんだかんだ響のことが嫌いって言える人はなかなかいないと思います。
よく計算された魅力的なキャラクターです。
彼女の正義には共感できますし、憧れる生き方ですよ。
だからこそ、納得がいかないことがあったとき、怒りを感じたときには、最後まで暴力じゃなくて言葉で対抗して欲しかったです。だって響の武器は言葉なんだから。
殴ったり蹴ったりする前に、論破して欲しい。
ただの言葉じゃなくてその言葉に覚悟があるからこその行動だっていう理論も理解できるけど、それを人に向けて振り上げる拳にしてしまうところは、治さなきゃいけないよ。
ね、響ちゃん。
いや〜、なんせ平手さん最強に可愛かった!
ミルミル買いに行こ。
おわり。それでは。
映画「響 –HIBIKI-」 公式サイト
Ⓒ2018映画「響 -HIBIKI-」製作委員会 Ⓒ柳本光晴/小学館
サマー
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