五反田の街は、明るい。
不思議なことに、その光は、夜が深くなればなるほど、濃くなる。
ひとつひとつの光の中に、それぞれ「私」がいて、その仄暗いスポットライトの中で、何かと戦っている。
あの街を、思い出していた。
私は下着の見えそうなワンピースを着て、黒くて大きな「お仕事バック」を持って、
わざと視点を定めず、あの街を歩いている。
道行く人はスーツを着ているけど、朝の品川駅なんかとは少し違って。
仕事終わりのアルコールが高揚させた顔に張り付いた湿度を含んだ目には、
「開放感」とか「幸福」とか、それからそれと同じくらいの「だらしなさ」が浮かんでいた。
私に視線を浴びせる男たちは、口元がだらしなく歪んでいる。
「ほら、あの子もそうだよ」って。聞こえたわけではないけれど、確かに感じながら。
気にしているわけでも、気にしていないわけでもなく。
「さやかです」って、別の名前を名乗りながら、ラブホテルのエレベーターを上がった。
愛する人はいた。私の仕事のことは、知らなかった。
ラブホテルからラブホテルに渡り歩きながら、
「打ち合わせなんだ」なんていう嘘を、指先から送信していたように思う。
一向に増えない仕事仲間。買わない定期。
やたらと増えるポケモンGOの図鑑。
彼は私の仕事を、なんだと思っていたのだろう。
「普通」に憧れていた。
まだ少女だった私はいつも「普通」という得体の知れない何かを目指して、
途方もない旅路を歩いていた。
保育園の時に書かされた将来の夢にも、風俗嬢になってからの
プロフィール上の将来の夢の欄にも「お嫁さん」と書いてた。あの言葉に、嘘はない。
普通に生活して、普通に好きな人と出会って、普通に結婚をして、普通に家族を作る。
それだけで充分だ。それだけが、「普通」だけが、私の目指す憧れだった。
だけど私はいつも、「普通」にはなれなった。
可愛いカフェに並ぶ可愛い女の子たちのように、何もないように笑うことができなくて、
普通に笑うことに、普通に泣くことに、普通に過ごしていくことに、苦労した。
普通ってなんだろう。
うまく生きられる人は、どうしてうまく生きられているのだろう。
分からないまま突き進んで、気づいて後ろを振り返ってみたら、どうやら私は
「とんでもない道」の真ん中に立っているようだった。
ああ、もう手遅れだ。
私はいつのまにか、あれだけ憧れていた「普通」から、遠く遠く遠ざかってしまったらしい。
小学校の同級生に伝えるのは、いつも嘘の「現状報告」。
LINEの名前だって、本名を使えない。
普通に生きていく?何それ。
ねえ、そもそも普通って、なんなの?
名前も知らない男のいる部屋に行き、名前も伝えず、裸になった。
肌を重ねて、どうしようもないものを吐き出す男たちを、時々無性に、哀れに思った。
「風俗」というまともでない仕事をしていることや、
見ず知らずの男に抱かれている理由。
妻とのセックスレスや、愛の行方、不景気。
そういう「人生において重要そうな本質」について、
私たちはいつも、見て見ぬ振りをした。
重なり合って、乱れたシーツの上で話すのは、いつも「終電の時間」とか、
「週末の天気」とか、そういう、どうでも良いことばかりだ。
見てみぬふりをして重ねてしまいこんだ「大事そうなもの」たちは、
置き去りにされたまま、消えることもなく乱暴に積み上げられていった。
気づいていた。見なくちゃ。あれを処理しなくちゃ。そうしないときっと、きっと……。
きっと、普通にはなれない。
だけど私達は、考えることを放棄した。だって、面倒だったから。
目次
「普通」ってなんだろう
私達はいつも「普通」を求められた。
学校ではみんなと同じ制服を着て、みんなが好きな曲を聞くのが普通。
進学するのが普通。就職するのが普通。
普通、普通、普通……。
そこの枠からはみ出ようものなら「普通じゃない」ってレッテルを貼られた気がして。
怖くて、普通を目指した。
だけど「普通」はいつも変化して、決まりがなくて、私を苦しめた。
「ねえ、普通ってなに?」その答えを見つけられないまま。
そうしているのまにか、道を外れた。
多分、みんな知らないんだ。「普通」がなにか。どうして「普通」が良いのか。
わからないままなりたがって、そして押し付けた。
普通でいなさい。
普通にならないと。って。
「変わってるね」って言われた時。
「変わってる」恐らく貶しているわけでも、
だからと言って褒めているわけでもないのだろう。
だけど悪気のないその言葉は、
「君と私は違うみたい」という無言の線引きの様な気がして、
私とその人との間に、赤い三角のコーンを、コツンと無造作におかれた様な気がして、
私はその言葉を聞く度に、なんとなく悲しかった。
春の兆しが夜にかき消された肌寒い金曜日、
いつものように「変わってるね」と言われた私は「そうかな」と首を傾げて見せて、
それでも尚「うん、確かに変わってる」と言い切るその人に、「そうかもね」と笑いかけた。
変わっている。確かにそうなのかもしれない。
私はきっと、普通ではなかった。だけど、それは、悪いことなのだろうか。
普通になりたいともがいて、それでも普通になれなかった私が、心のどこかで叫んでいた。
「普通じゃないといけないの?」
五反田の街は、明るい。
不思議なことに、その光は、夜が深くなればなるほど、濃くなる。
ひとつひとつの光の中に、それぞれ「私」がいて、そのほの暗いスポットライトの中で、何かと戦っている。
あの小さなスポットライトの下に、何人の私がいるのだろう。
普通にならないとと呪文のように心に唱え続けて、それでもどうしてもそうなれない、私が。
できることなら、あの頃の私を抱きしめて、頭をなでてあげたい。
「あなたはあなたで良い」と。
「あなたはあなたで良い」その言葉があれば
「普通なんてどこにもない」その答えを教えてくれる誰かがいれば。
私は存在しない「普通」を追い求めて大きく道を迷ってしまうことも、
苦しむことも、なかったのかもしれない。
自分自身の心の置き場に困ることなく、生きていられたのかもしれない。
「普通でいなければならない」という思いが、言葉が、私達の生きる道を狭く縮める。
右にも左にも道はあるのに、見えなくさせて、下に落ちていくしかないような錯覚を覚えさせる。
「普通」なんてどこにもない。「普通」になんてならなくても良い。
道はいくらでもあって、あなたが立っているその場所も、たしかなひとつの道なんだ。
「普通」に惑わされて苦しむ人を減らしたくて、私は言葉を書いている。
この言葉が、暗い部屋で道が分からず泣いているあなたに届くと良い。
あなたはあなたで良い
ありきたりど、だけど大切なこの言葉が。
yuzuka
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