生きるのがそんなにうまくないへなちょこ人間によるあんまり参考にはならないベルリン暮らしのひとりごと日記。
生活に正解があるのかなんてわからないけど、不器用な日々のなかに思うあれこれをぶつぶつと綴ります。
今日は涙についてのお話です。
目次
泣いてもしょうがないなんて言わずに泣かせてよ
あれはたしかベルリンにきて3、4ヵ月目くらいのこと。
その日私はちょっとした買い物の帰り道の電車の中で、人目もはばからず涙に暮れていました。
涙も鼻水も止まらなくて、それをぬぐう気にもなれずに、窓の外をじーっと見ながらたれ流し状態。
あんな涙は初めてのことでした。
ドイツの駅には改札がない
私が泣いた理由は自分の乗車違反のせい。
ドイツの電車は日本とは乗り方がぜんぜん違います。
ホームか駅の構内にある販売機でチケットを買って、そのチケットに乗った時刻をガチャコンと自分で刻印するだけで、駅員もいないし改札もありません。
そんなゆるい乗車システムの規律となっているのが「コントローラー」と呼ばれる人たちで、彼らが時々車両内を抜き打ちで巡回して乗車違反を取り締まっているんです。
チェックの際に、正しいスタンプが押されたチケットか、パスを持っていなければ、70ユーロ(約8,700円)の罰金を支払わなければいけません。
何を隠そう私はこのコントローラーに捕まってしまったことがあるんです。
チケットは決められた路線をスタンプの時刻から2時間以内、一方通行でしか使えないのですが、私は2時間以内なら往復で使えると勘違いしていました(間抜け!)。
自信満々にチケットを差し出したら、コントローラーのおじさんに、「これダメ。次で降りて」と言われてしまったんですよね。
あのですね、なんというか、コントローラーの人たち、めちゃくちゃ雰囲気がこわいんです。
違反者の中にはゴネたりキレたりする人もいるだろうから、タフな人が仕事をしている傾向があるのかなと思うのですが、でも本当、いざ捕まると漏らしそうなくらいこわくて……。
彼らは2人1組で車両の両サイドから挟み撃ちみたいにしてチェックにまわってくるんですが、最初は普通の乗客みたいな素振りで乗っていて、電車が走り出し、逃げ場がなくなってから、「はーい、切符出してー」って正体を明かします。
罰金の精算に使う手持ちの機械も、ご丁寧にジャケットの下とかに隠していて。
そりゃコントローラーがいるってわかってて無賃乗車する人はいないでしょうから当然のことではあるんですけど、現れ方からしてこんな感じなのでコントローラーが出現すると車内は急にピリピリしたムードに。
そして、チケットを持っていなかったり正しいスタンプが押されてなかったりすると、その人は次の駅で降ろされるわけなのですが、違反者が一人だと必然的にコントローラー2人対違反者1人の構図になってしまうんですよ。
乗車違反で絶体絶命
私は捕まってしまったことにめちゃくちゃびっくりしていた上に、いかついおじさん2人に囲まれて、もはや立っているのがやっとの風前の灯火状態でした。
あの時の私ほどオロオロって言葉がぴったりくる人間はいないってくらい。
それでも、お金を使うことに自分史上最高に抵抗を持っていた時期だったので、
「何かの間違いじゃないですか? ほら、2時間以内!」
と、命からがら伝えました。
とは言ってもドイツ語がからっきしなので、あやしい英語で。
いかついおじさんたちは、英語が得意というわけではなさそうだったのに、それでも英語に切り替えていろいろ説明してくれました。
そのおかげで、往きのチケットでそのまま帰りの電車に乗っていたのがダメだったっぽいということを理解できた私でしたが、同じチケットにもう一度時刻をスタンプをすればよかったのか、それとも違うチケットをもう一枚買わなければならなかったのかがまだわからなくて、確認しようとしたんです。
すると、おじさんたちは私がごねていると思ってしまったのか、はたまた単に何を言っているのかわからなかったのか、急に威圧的になって早口でまくし立て始めました。
いますぐ罰金を払わないのなら、なんちゃらかんちゃらーー
これからポリスにどうのこうのーー
要約すると罰金を払わないなら、警察を呼ぶから警察と話せってことを言っていたと思います。
えっ、今なんかポリス言うた?
私は「警察」という単語が出てきた時点で頭がまわらなくなってしまいました。
いつもなら普通に文章にできるような英語も出てこなくなってしまうくらい大パニック。
それでも今黙ってたらダメだと思って、頭に浮かぶ単語を片っ端から口にしたんです。
「罰金を払う気がないわけではないです。なぜポリスと話さなきゃいけないんですか? 」
そう伝えようとしました。
でも、もともと拙い英語力にくわえ、逆上した私の言語能力はマイナス200。
意味不明だったに違いありません。
いかついおじさんたちはアイコンタクトしあって、盛大にため息をつきながら、
「コイツ話にならんわ」
「なんか〇〇とか言ってるし」
私に向かってではなく、私の頭の上でお互いにそんなことを言い合い始めました。
〇〇というのは、私が言い間違えてしまった文脈に関係のないトンチンカンな単語です。
涙が止まらなかった帰り道
母国語でもない英語を私にあわせて使ってくれていたのに、英語さえ支離滅裂になった私は、おじさんたちにとってめんどくさくておかしな奴でしかなかったと思います。
結局私はその場でクレジットカードで罰金を支払い、もう一度同じ方面の電車に乗って家まで帰りました。
その帰りの電車の中、70ユーロの領収書をぐしゃぐしゃに握りしめ、どうしても涙を堪えることができなかったんです。
悔しくて、悲しくて、地の底にいるような気持ちでした。
「コイツダメだな」
そう言ったおじさんの表情が頭から離れなくて、そしてそれが他でもない自分のせいだったことが余計にやるせなかった。
コントローラーのおじさんたちに対してというわけではなく、自分がまるで存在していないかのように扱われたそのこと自体へのやり場のない怒りと悔しさです。
そう、言葉がちゃんと話せないのにルールをきちんと調べなかった自分のせい。
激凹みでした。
それはもう盛大に涙しました。
いい加減にベルリンに住んでいる私には、時々こういう瞬間が訪れます。
悲しくて泣く回数は日本にいる時よりずっと多いです。
それは貧弱な言語力のせいだった時もあるし、文化の違いが原因だったりもするし、差別だと感じる瞬間もあります。
それが嫌なら日本に帰るか猛勉強するしかないってことも、マイペースな努力だけではこういう瞬間がすぐになくなることはないっていうことも、わかっているんです。
それでも私はあの日、泣くのをやめようとは思いませんでした。
そして、この涙を絶対に忘れちゃだめだと感じていました。
いつまでも泣いているだけでいるつもりはないけど、この涙にも意味があると信じたかったのかもしれません。
いいじゃない、自分のための涙
涙って時に厄介なものですよね。
表情より言葉より雄弁で、ともすると不必要なインパクトを他人に与えてしまう。
もう、引っ込んでてくれよ! って思うこともよくあります。
大人になると、人前では泣きたくたってそうそう泣けません。
私たちが暮らしているのは不完全な社会だから、理不尽にさらされて、傷つくことが多すぎて、鈍感になるしかなかった人もたくさんいます。
もしかしたらこの世界には、流されなかった涙の方が多いかもしれない。
だけど、自分のために涙を流してあげることが必要な時って本当はもっとあるんじゃないかと思います。
泣きたい時は自分だけのためにメソメソしたっていいんじゃないかな。
誰かのなかったことにされた涙の分も。
もしかしたら、この涙が明日の元気を連れてきてくれるかも知れないし。
サマー
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