【卵屋さんがひとつひとつ手作りで詰め込みました】
と書かれているプリンは、やたらと小さなカップに入っているのに、ひとつ890円だった。
私はそのプリンを手にとって何かを吟味する、何も面白くないのに口角が上を向いた「ていねいな暮らし」をしそうな誰かの頭に乗った、計算された無造作なお団子を、じっと見つめていた。
かぶってる。
何がって、ボーダーが。
私もその人も、ボーダー柄のワンピースを着ていた。
しかも参ったことに、色も、一緒。
黒と白が順番に整列された、ありきたりなワンピース。
一瞬、「あれ、同じじゃない?」って思ったけど、何でかよくわからないけれど、彼女と私は、すごく、違った。
なんだろう。デザインかなあ。
確かに。
彼女のボーダーの方が、太さが、良い。
色も、なんていうか、良い意味で曖昧で、うーんっと、そうだな、お洒落?
だけどそれだけではない気がして、
「何が違うんだろう」って思いながら観察していると、私のちょうど腰あたりのサイズ感の小さな人間が、とことこと私の横を通り過ぎ、長い時間誰かが手詰めしたプリンと見つめ合っている「ていねいな暮らし」に駆け寄っていった。
「ていねいな暮らし」は手詰め激高プリンからその生き物に視線を移すためにしゃがみ込み、ただでさえ上がっていた口角をさらに天に昇らせてから、「プリン、食べよっか」と口にした。
小さな人間は、心から幸せですという表情で、「うん!」と返事をする。
何の基準をクリアしたのか分からない手詰めプリンは、とにもかくにもオーディションをパスし、見事「ていねいな暮らし」の持った買い物カゴへの仲間入りを果たした。
奴が勝ち抜いて入り込んだかごの中には既に、見たことのない野菜数点と、乾燥したチアシードが入ったカラフルなボックスが入れられている。
すげえ、カゴの中身を見たところで、今日の晩御飯がなんなのかすら、全く予想ができねえ。
だけどもしかして彼女の連れている小さな人間は、「わあ、今日の晩御飯は、オッソブーコだね!」なんて言うのだろうか。
私は自分の右手に握られた大盛りどん兵衛を、ちょっとだけ、棚に戻しに行きたくなる。
「あぁ」と思った。
よくよく見ると、小さな人間も、私や「ていねいな暮らし」と同じ、
ボーダー柄のTシャツを身につけている。
だけどもう、同じだなんて思わない。私と彼女たちは、違う。
生きてきた世界も、生きていく世界も。
きっと私は陳列棚に並べられていたとしても、彼女の買い物カゴのオーディションにすら書類落ちするのだろうな、と思った。だって、珍しくなくて、薄汚い。
私の暮らしはどちらかというと「てきとうな暮らし」で、それは「適当」ではなく、「テキトウ」に近かった。
「わざわざ手詰めしなくて良いからせめて150円にしてよ」って、あのプリンを見てそう思う私は、いくら同じ模様の服を着てなりきろうとしても、彼女たちにはなれないのだ。と、思った。
悲しくも苦しくもないけど、にがい。そのにがさはいつまでも口に残る不快なもので、私はその味を、いつまでも持て余していた。
余談だけれど、私はパクチーが嫌いだ。
ちょっとよく分からないかもしれないけれど、あの「ていねいな暮らし」とかその横にいた小さな人間は、パクチーが好きだと思う。よくわからないけれど、絶対に。
パクチーってのは、好きになるか嫌いになるかが遺伝子レベルで決まっていて、生まれた瞬間から嫌いな人はどう頑張ったって、好きにはなれないらしい。
遺伝子に組み込まれた嫌悪感。残念。いくら私だって、遺伝子からは逃げられないし、反対側には歩み寄れない。
なんていうんだろうなあ、そういうどうしようもなさを感じるんだよ。
「君は彼女たちと同じように、あのプリンを手にとって幸せを感じられるような世界線にはいられないのだよ」って事実は、自分ではどうしようもできなくて、生まれた時から決まっていたんだと思う。
パクチー嫌いが組み込まれる時くらいに、一緒に組み込まれっちゃったんじゃないかなあ。
yuzuka
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