大森駅についたとき、卵とじうどんを思い出した。
数年前、ここで暮らしていたときに、いつも通っていた蕎麦屋さんのうどんだった。
大森駅北口を出てすぐにある、小さなお蕎麦やさん。
私はそこで出されるたまごとじうどんが、世界で一番美味しいうどんだと思っていた。
関東風の黒くて甘めのだしに、細くてやわらかい麺。
そのうえをふわっと覆う優しい卵にからまる、ほんの少しの九条ねぎ。
いつも一緒にたのむかき揚げ丼と、氷を入れて出してくれるそば茶が、
そのうどんの美味しさを、より引き立てた。
私はいつもそのお蕎麦屋さんに一人でいって、一人で食べて、ふうっと息をついてから、
電車に乗って仕事に向かっていた。
満たされたお腹が、心地よい。あたたかいうどんは、私を優しい気持ちにさせた。
そのうどんは、いつも同じ味だった。
私が振られた日も、仕事で成果を上げた日も、風俗を辞めた日も、、いつも同じ味だった。
最初にあのうどん屋さんに出会ってから、何年もの月日が流れた。
変わらないそのお店とは裏腹に、私はとういうもの、暮らしている場所は次から次へと変わって、
仕事の状況も、付き合っているボーイフレンドも変わった。
大森駅からも引っ越して、今は沖縄に暮らしている。
仕事で東京に行った時、ふっとあのうどんを思い出した。
気づけば何年も行っていない。
あのお店はまだ、あるだろうか。
なんとなくの好奇心で、用事のない大森駅に降り立った。
懐かしい空気に胸がきゅっと縮こまる。
なぜだかは分からない。
だけど私はこの駅に、東京のどの場所よりも、愛着がある。
大森駅を抜けて、小さな階段を降りて曲がると、
そこに、あのうどん屋はあった。
お店のたたずまいも、「いらっしゃい」と笑うお店のおじちゃんも、
メニューも、値段も全部。なにひとつとして変わっていなかった。
「たまごとじうどんと、かきあげどんで」
はいよ、と笑ってしばらくして出て着たのは、あの日のうどんだった。
大きなれんげでつゆをすくって飲み込むと、私の体はそのままあの数年前にタイムスリップした。
変わることが必要な場面ばかりだ。
コロナは世界の様式を変えてしまったし、人との付き合い方や仕事の仕方も、がらりと変わった。
インターネットには常に新しい普通があふれていて、それを知らないことはもはや非常識だ。
めくるめく毎日の中で溢れる情報を取捨選択しながら、自分をアップデートする。
街も変わり、友人も変わり、人生が変わっていく。
変わることは、素晴らしいことだ。
いつも新しいことに順応していく人は素敵で、魅力的で、正しい。
だけど、目の前に出された何年も変わらない値段と味の卵とじうどんと、おじちゃんを見ていると
ふっと、ふっと、安堵したのだ。
変わらないことが、誰かの救いになることがあるのだということを知った。
「変わらない」ことは、進化を蔑ろにした結果だろうか。
いや、違う。やっぱり違うと思うのだ。
こんな時代に、「変わらない」ことがどれだけ難しいことだろう。
それはただそこにつったっているだけではかなわないことだ。
強い意志を持って、踏ん張って、「変わらない」と、叫ばなければならない。
うどんを、すすった。
美味しくて、あたたかくて、少しだけ、泣けた。
どれだけ変わっても、どれだけ忙しくても、どこから帰ってきても、
「ここがある」と思えることが、どれだけ人の心を癒すか。
私はそんな大切なことを忘れかけていた自分を恥じながら、変わらない卵とじうどんを、食べた。
私が唯一できることもまた、変わらずにそのうどんを食べ続けること、だと思ったから.
yuzuka
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